末広亭がつまらなかった
木ノ下歌舞伎っていう、歌舞伎を翻案して現代劇にする企画があるんだけども、
その主催者が橋本市長による文楽批判ツイートに対して批判してたのを読んだ。
一方大阪の文楽は伝統でございと工夫も何も無い、みたいな趣旨で、
それに対して木ノ下歌舞伎は「愛が無い」と反論してた。
読んで、(末広亭の寄席はつまらなかったなあ)としみじみと思い出した。
良いところがないというほどに笑わなかったわけではないけども。
でもつまらなかったんだなあ。
人には決して勧めない。
行くだけ損。
歌舞伎は偶然に行って、あんまり面白いからって友人を誘って何度か行ってる。
もし末広亭に誘ったら見識を疑われるんじゃなかろうか。
人がワビサビを感じさせる少なさなのも、天候や平日という所為ではなかろう。
本当につまんねえんだ。
発表会か練習場なら納得する出来。
素人の友達が出てるんなら「上手!!」と勝手に得意になるような程度。
本当は発表会だったのかもしれない。
OLとか、学生とかサラリーマンの、かくし芸だったのかもしれない。
だとしたら3000円は高すぎ。
端唄も、しゃべりは江戸っこだ江戸っこじゃねえって選民意識高すぎて、
ばあさんあんたは京都人かと。
てめえが何したわけで無し偶然そこに生まれてきたってことでよくもまあそこまで威張り腐ったこと言い散らかして金取ってふんぞり返って居られるなあと感心するやら情けなくなるやら。
江戸っ子だと価値があんのかと。
どうせ戦後の東京の生まれじゃねえかよ。
芸の売りが出身地だけなんだから、つまんねえわなあ。
いや、肉屋とか畳屋、パン屋のおばさんがやってるってんならたいしたもんだよ。
面白かないけど、誉めるには褒めてしまうよ。
でもプロなんだから、芸ってほどじゃあねえよなあ。
こういう文句に「じゃあてめえがやってみろ。できねえんだったらガタガタぬかすな」ってのがあるけども、
プロ相手に商売してるプロじゃねえだろと。
素人を満足させる金をとってんだろと。
マジックもキャラが半端で何がどう面白くしてるんだかわかんねえし、
だいたい、あの紙の切り方でオチがわかってんだよと。
コントも客いじりするわりに、「あとで怒られるんだよ」ってツッコミはどうなの?
ガキを注意された親かよ。
怒られるからやめるんじゃなくて、お客様に失礼だからやめるんだろ。
怒られなかったら何してもいいのかよ。
しかも怒られるって関係者からだろ。
こっちは金払ってきてるんだぞ。
そりゃあコントの二人が金貰うのは末広亭からかもしれないけども、
関係者にだけいい顔をして、客には暴言はいてもいいって態度はいかがなものか。
暴言をツッコミが「ギャグ」ってことにするのに、
「怒られるからよせ」じゃてめえのことしか考えてねえじゃねえか。
怒られるかどうかは問題じゃねえだろ。
曲芸は下手くそで失敗ばっかで、
金を渡して見てもらうようなレベルだった。
数合わせか時間つぶしに集められたような、不器用な素人による練習中のかくし芸みたい。
なりは貧相で汚ねえ、やることは半端で救いようがない。
プロじゃなく、罰ゲームで恥をかく為に出演してる人だとしたら納得。
後からよく考えるとたいしたことないのに、
その場ではどうしようもなく反応しちゃうってのが、
生で観るもののダイゴミだと思うんですが、
いやー、損した。
末広亭の9月下席がつまらないということがわかった。
イス席はどうかわからないけども、
桟敷席は首が疲れるし、座ってるところは斜めで姿勢がどうしても居心地が悪い。
年寄りの落語家はもう声が小さくて小さくて、
マイクの感度を途中上げてたけど、
すると今度は宇宙船からの通信みたいな音になって、
目の前にいながらにして霊界通信気分が味わえるもんだから途中でまたマイクの感度下がって(もしくはスピーカーの音量を上げて)、
聞き取りにくくて客も、しかしお年寄りだから何か悪いなあという愛想笑いみたいなのが続いて、
年寄りもそれで満足しちゃってという悪循環があったんじゃなかろうか。
元気な若い噺家は元気ばっかりが売りで、
声がでかいってことで時間いっぱい押し切って、
ほらほら僕、面白いでしょうという厭味ったらしいのまでちゃんといた。
てめえの芸を見せつけられにきたんじゃなくてこっちは面白いものを見に来てんだよ!
気取ってんじゃねえよ。
出演者が皆、私の孫だったら私は大満足できたでしょう。
ここまで腹立てて見てるってのは非常に損だと思う。
団体で来てたじいちゃんばあちゃん方はけっこう皆、どこでもウケてた。
一人二人で来てるひとたちはニヤリとするのも稀で殆どが仏頂面だったけども。
昔、上方漫才の収録番組を見てて、
そらもう今回のようにつまんなかったんですが、
それを見て何が面白いのかわからなくて親に聞いたところ、曰く
この観客は笑うためにやってきてるから笑ってるんだ、笑わなかったら損するという気持ちで見に来てるんだ、だから笑ってるんだト。
笑わせてみいではなく、笑う準備はできている、さあ来いという人たちだったんでしょうか。
寄席は補助金が出てないし、
伝統の上にあぐらをかいてるようにも見えず、
オモロイデッシャロという自信だけは感じられたんですが、
かえってそれが鼻について笑え無さに拍車をかけたようにも思います。
わかりやすすぎるくらいにわかりやすい笑いどころが提示されてたので、
あぐらはかいてないんでしょう。
ただつまらなかっただけ。
木ノ下歌舞伎の人の反論は、ぼやっと例をあげていやそんなことはないと言ってて、
だからってそうや、文楽は云々や!橋本市長は何言うてんねんと共闘したくなるような意見でもなく、
ふーん、まあ、そう言う人もいるでしょうね、と妙に冷めてしまった。
うっわー何言ってっか全然わかんねーと思ってしまう私には、
伝統も大事だけど、素人にも目配せ頼むよと思ってしまう。
翻訳についての現代の状況に関する話を聞いたときに、
よくある結論として「消費者を教育することが大事」というのがあったけども、
「言われた通りに訳してくれればいいから」と言われても、
何を持って言われた通りなのかとか、結局何が知りたいのかとか、何に使うのかとかいうことをを知ってた方が役に立つんだとかがあって、
素人ってのはわかんねえ奴だな、上手く使うなら勉強してきなってことなんだけど(こんなに偉そうではない)、
浄瑠璃とか能狂言だって、現代に生活する人からしたら大昔の芸事なんてもう同じ国家内のものってだけで本音はもう他所の文化なんだから、
何言ってっか或いは何が面白いのかわかんねえのが当たり前だと。
現代アートが(何がいいのこれ)っていうのも、その作品がどういう歴史や言説に対する批評的行為なのかということがわからないからってのもあるでしょうよ。
現代物質文明への批判とか、ジェンダー的役割に対するアンチテーゼとか、そういうプラカードとか判じ物みたいな、
それだけ具体的なメッセージがあるならいっそデモ行進でもしろよと言いたくなるようなものもある一方で、
何かこれ好きという、批評だの歴史があってもなくても、キュンとくるものもあるでしょうよ(というのも結局は、意識に前景化されない文脈というものを激しく問題提起していて云々ということもございましょうが)。
そういう(何かすげえ)ってのがはまっちゃう原因なわけでしょうよマルチも然り。
関係ないけども、
三島由紀夫は歌舞伎についての講演の中で、
浄瑠璃を読んでその演目が歌舞伎になるときにどのように演じられるかが楽しみであったと言ってたけども、
たしかに歌舞伎って元ネタに能や浄瑠璃があるんよね、
それをカブキナイズしてるってわけよね。
だから木ノ下歌舞伎って木ノ下浄瑠璃とか木ノ下能なんじゃないのって思ったけど、
同じ元ネタの演劇板が歌舞伎だからいいのか。
歌舞伎や浄瑠璃の元ネタになる事って当時の三面記事的な事件だったそうじゃないですか。
心中とかさ。
歌舞伎を現代でやるなら、怨恨の事件とか一家心中とかレイプ殺人とかを片岡仁左衛門とか海老蔵がやった方が、現代版歌舞伎になるんじゃないかね。
むしろミヤネ屋とか東スポが昔の歌舞伎のワイドショー的な位置を占めてるとしたら、
事によるとブランディングによってはミヤネ屋とか東スポもけっこう日本の伝統芸能にできるんとちゃいまっか。
二代目恐縮リポーターみたいな。
芸として継承するほどの型が無い散文的なオモシロはどうやって伝統化してくんですかね。記録媒体も発展したし。
仮名手本忠臣蔵とか四谷怪談って実際にあった事件をフィクションにしてるわけで、
フィクション化するときの手法を真似て、
野々村議員とか、スタップ細胞とかも歌舞伎とか浄瑠璃にならんかね。
できるんだろうけども人権問題でどうのこうのってことがあってしないんでしょうね。
津山事件なんかは昔のことだからフィクションに使われてんだろうか。
東電OL事件も使われてるから、時代とかでもないか。