救世主の奇跡と、モテ

ブリキの太鼓』を読み終わって、次に読んでるのはヘッセの『シッダールタ』です。

 

ドイツづいてるみたいですが、単に『ガラス玉演戯』を読みたいだけなんだけど、

「新潮世界文学」が『シッダールタ』から始まってるので、勿体無いから読んでます。

 

あのブッダが入門する話でしょと読み始めて、

意外やびっくりな、先にゴータマ・ブッダが出てくるのです。

しかも奇跡使いとして。

 

あの奇跡を起こすってのはなんなんですかね。

ブッダが凄いことの勘所は、輪廻から解脱してるってことでしょ。

なのに、盲人の目を見えるようにしたとか、びっこの足を直したとか、お風呂に行く時にいったん外に出なくちゃならない造りの家を祖母も暮らしやすいバリアフリー設計にして「今度はひ孫の顔が見たいです」なんてほっこりさせちゃったとか、

解脱と何の関係もないじゃんってこと。

足がはやいから大食いってくらいに辻褄が合わない。

解脱と奇跡に何の関係があるねんと。

それを言ったらキリストが起こした奇跡も、救世主であることとどう関係があるんだと不思議です。

百歩譲って奇跡を起こせても、それが救世主であることと無関係に思える。

そりゃあ、奇跡は凄いし、普通の人にはできないことでしょう。

だからって救世主とは限らないんじゃないか。

奇跡だけ起こして、それが能力の限界かもしれないじゃないか。

奇跡が起こせるんなら人類を救済できるに違いないって推測だったら、甘すぎやしないか。

 

超能力の討論番組で野坂昭如が言ってた。

「人間の能力が厳密に定められてないのに、それを超える能力を論じられるわけがない」

いいこと言うなあと感心したけど、あっさりと流されてた。

これってそもそも論ですよね。女性が嫌うという。

たしかに、そもそも論を言い出されると、ここでは番組が成り立たなくなる。

番組を成り立たせるためには、人間の能力が決まっていて常識では考えられない力を持つのが超能力であるという前提の元に議論をするしかない。

そうするとあたかも超能力という定義がある気がしてくる。

人をコントロールするには、ある枠組みを与えて議論させるのが有効だそうです。小沢健二が書いてた。

「この大変革の時代に」「時代が変わりつつある今」「未曾有の大変動を迎えて」云々が、ジャーナリストとかが使うけれど、

かつて安定して安穏と暮らしてられた時代があったのかと。

災害が起こらず戦争もなく、国際関係には摩擦なく、経済が好調であり続けた時があったのかと。

今、先が見えないのは、過去じゃないからじゃないのかしら。

過去の人だって過去の人なりに、将来どうなるかわからんぞとは思ってただろうよ。

いつだって変わってきたのに、あるいはどのようにも変わりうる可能性はあったまま、今あるように変化してきたのに、

今だけ取り上げてそれはないんじゃないの。

 

先輩と話したこと:

隙について。

隙がある人ってモテるよねという話に。

しかし、そこで隙ってなんだって話になるが、なんとも言えず。

でも漠然と、あの人はある、あの人はないと言える。

そして、男で隙があるのはモテるとは限らないとも。

友達とも話したことがあったけども、何かぼやっとしたままだった。

「俺に気があるんじゃないか」と思わせることが、隙があると言えなくないか。

好きにさせる隙とか、付け込む隙というか。

「あれ?これもしかしてけっこう押したら行けるんじゃないの?」と思わせると勝ち。

「あーこの人はいけないわ」というのはどういうことなんでしょうね。

ボディタッチが多いとか、ハートマーク乱発とか、童貞が勘違いするやつは、付け入る隙があるかのように見える。

多少なりとも、他人よりは心を許しているかのように思われる。二人称がduになったときなんか(おっ!)と思うだろうね。Sieのままだと期待しないだろうね。

親密さを出すことが、隙に繋がるんでしょうか。

共通点があったりすると盛り上がって親密さには近づくよね。

(一緒だ)とか(わかってくれてる)とかが、拍車をかけるよね。

隙を見つければ、かわいいと思うと思う。割り箸を逆に持って使うとか。

小さい子なんかは隙だらけに見えますよね。朝の電車で見るおっさんは、電車に乗るだけなのに「寄らば切る」って顔に書いてあったりする。

ファロゴセントリズムってそういうことなんでしょうかと繋げたいんだけど、よくわかってない。

多和田葉子の小説が論理的に展開されてるように思えないのは、しかしながら隙があるように思えない。

モテの話だ。

とはいえモテるのが問題じゃなくて、狙って落とせるのが一番いいのだと思う。

でもモテの話だとして、オールジャンルにモテるってのは現実的じゃないので、

どのへんにモテたいか絞るところから始め無くてはならないでしょうね。

ターゲットに合わせた服装をして、会話用の話題を入れて、というのは何だか接待みたいだけど、

接待の先に行くにはどうするかだ。

単純だけど、距離が近いってのは隙がありそうですよね。

笑顔になるとか。

要するに子供っぽいってことか。

そうやれば確実にモテるかというと、自身の経験から言えばやっぱり、見た目ですね。

ある程度はお洒落でなんとかなるというのが、絶望的でないところ。

お洒落も極まってると隙が無く見えるし、

かなりお洒落じゃなくて美人だと、おかしなのばっかり寄ってくるし。

こうすればいいんだっていう型がありそうだけど、それがキャンキャンとかになってきて、女子力とか言われて揶揄されてるってわけか。

生存戦略としてのモテはあると思いますが、

先輩が目指してたのはそれだったんだろうか。