暗くて地味な印象

今売ってる文芸誌に、『裏声で歌へ君が代』の評論が載ってた。

 

趣旨は、「台湾独立の政府に、実はモデルがあったんですよ」ということ。

発売時はかなり取り上げられた割に、その後は殆ど評されずにいる本作を、見直そうというもの。

文壇のドンはもう亡くなっているので、気を使わずに作品について論じられるようになりましたよ、ですから皆さん、というような趣旨もありました。

 

作品は「台湾ネイティブのための政府を樹立しようという運動が東京で起こっていて、その中心人物の近くで起こること」で、

それが国家論やら日本という国家論と絡めて物語られる。

三年くらい前に一度読んだきりですが、たしか作品内に有名な歌人の和歌が引用されまして、

それが、実際にある作品の引用なのか、丸谷才一による創作なのかが気になったんですが、多分創作じゃないかなー。

 

確かに『裏声』は論じられてないような気がしますね。

丸谷才一と言ったら『笹まくら』『たった一人の反乱』『女ざかり』『樹影譚』あたりが論じられるのがよくあるコースだと思います。

デビュー作、ヒット作、映画化あたりをさらっておけばそれで済むような。

だから『裏声』はあんまり論じられてないのかなーと思ってたんですが、読むとそれも納得でした。

面白くない。

というのも言い過ぎとしても、少なくとも、格別面白いわけではない。

ストーリーに酔いしれるとか、文学的な冒険があるとか、突出した論が見られるとかというよりは、

何かぼやーっと難しい話と冴えない恋愛やら活劇があっておしまいという感じでした。

だから誰もとくに対象にしないのかなと。

モデルがあったとか、実際にあったエピソードを盛り込んでるとか、じゃあそれを言ったら、『たった一人の反乱』の冒頭の金時計の話にモデルがあったから何なの?というような(本筋じゃないので比較になりませんが)。

 

江藤淳が痛烈に批判してたそうですね。それは読んでみたいと思いました。

 

国家論がどうこうとかモデルが云々はあるとしても、それ以上に読みたくなるような評論が読みたかったですね。

エホバ』とか『笹まくら』とか『反乱』で言ってきたような国家論が、ここではどう変わってるとかは多分言われてるんでしょうけども、

何か地味な印象があるんですよね。

あれが市民小説ってことなんですかねえ。

その反省を活かして『女ざかり』では行動するようにしたらしいんですが、

じゃあ本人的にも失敗作ってことになるんでしょうか。

 

大滝詠一の『Each Time』もあんまり論じられてないみたいですね。

少なくとも、人気はないというか。

こっちも暗くて地味な印象があります。

ロンバケがA面で、イーチタイムがB面みたいな。

ロンバケで語られるような、あの元ネタは実はこれなんですよというのがイーチタイムはあまり見られないですよね。

大滝詠一なのに、元ネタについて語れないなんて、どうとっつけばいいんだというような。

 

でもでも、丸谷才一の『輝く日の宮』も『持ち重りする薔薇の花』も、短編も、殆ど特に論じられてないし、

と言うか全部均等に扱う必要だってないでしょう。

漱石の『坑夫』だって、モデルがあったからってなんなんだと。

 

なんかなあ、でした。