気が済まない

 

気づいたらひと月ちょっと書いてなかった。

別に書くことがないままってだけなんだけど、書くときが書くことがあるときってわけでもなくて、ただ書かずにいられないで書いてただけで、

今は書かずにいられなくなくているってだけの話。

書かずにいられないときと、書かなくても平気なとき、どちらがクレイジーということはないけど、書かずにいられない方が良い気がする。これは嗜好の問題。

日記だってツイッターだってメールだっていいんだけどね。

でもツイッターは何か書きにくい。誰が読んでるってわけでもないのに。

でもけっこう見てます。ツイッターくらいしか流行りのことに触れる機会がない。

ツイッターでほんの少し話題になってたブレンディのCM、その批評まで読むほどに暇でした。

不快と感じる人続出!らしくて興味津々だったんだけど、全然でした。

え、これのどこがおかしいの。

管理社会で、権力のある男性が生殺与奪権を握ってて、巨乳は出世し、ヤンキーと童貞(偏見)は早めに死すべき運命にあるって、そういう社会に生きてませんのですか我々。

所詮家畜でしかないのよ、このとおりじゃん、など。

牛を擬人化してみたら、殆ど人間と変わらなくてゾッとするよなしないよな。

気づいたってことに思い至りたくないことを、牛のドキュメンタリーじゃなく、もっと人間に近いかたちで示されることで、かえって人間が牛に近いことが示されてて、それで何が不快なんだろか。

闘牛場とか食肉にされるのが男だからでもないでしょう。

わからないと言えば、職場の人(女性・新婚)がヤリチンにスタバでコーヒー買ってきてあげようか、といきなり、そしてヤリチンと新婚女以外にも人が大勢いて聞こえるところで言ってて、一瞬理解が遅れましたが、

 

嗚呼、抱かれてんだな

 

と納得しました。

数学の証明問題を解くのが苦手で、なぜなら補助線が引けなかったからです。

勝手に補って良いのかと。でも抱かれてんでもなけりゃなんでコーヒー貢ぐねん、しかもたった一人のヤリチン相手に。

 

ひと月の間の変化、それは太ってきたことです。

書かないで、そのストレスを食べる快楽にぶつけてたからでしょう。

腹が出てきました。

今まで太ってなかったのはろくに食べてなかったからなんですね。

貧しさが私の体型を保っていた。

今は、腹が出てきたうえに、食べることを身体が覚えてしまって、空腹に耐えられなくなってきてしまいました。コンビニで何か買っちゃう。

十分食べた状態ではなく、そこから苦しいまで食べないと気がすまない。

ほんと「気が済まない」って程度。

 

メクルって雑誌で、あおいゆうを「句の上に据えて読」んだ谷川俊太郎の詩に衝撃を受けました。

本当に詩になってる!

詩人が書いてんだから当たり前なんだけど、それでも本当に詩になってるんですよ。

あんなことされたら惚れちゃう。

谷川俊太郎すげえなって思いました。