死ねなかった今日のなかなか死なない私

今日は危なかった。

 

友達の舞台を観に行ったんですよ。

飛び降り自殺を止められる話でした。

1回観て面白かったから、今日は二度目でした。

一回目と違ってるとこもあって、やっぱり面白かったです。

なんだけど、一回目の感動があったからなのか、

暗くなってるからなのか、

歩道がない道路を歩いて駅まで行く途中、直ぐそばを車がびゅんびゅんと走り過ぎていくのを見てると、

飛び出しちゃおうかなという気持ちが何度もかすめましたよ。

思いつきと数歩の勇気で終わるんだと心を後押しされて、

面接と違って雇用形態を騙してバイト採用にしたくせに社員になれよと圧力かける店長に、時給発生しない残業の多さに嫌気がさして「社員にしてくれ」と言ったときと同じくらいのちょっとの勇気を出せばいいのに、

と思いながら、

悲嘆の本の中に「悲嘆の最中に大きなことを決定しては行けません」と書いてあったのに思いつきで社員になったことの損得を勘定しながら、

タイミングをはかりながら、車の大きさを見ながら駅まで歩きました。

さすがに飛び出しませんでしたが、危なかった。

 

私をふった人が何故かこの前に会ってくれて、

一緒にご飯食べたり話したりしました。

で、今度は『バードマン』見ようねって言ってたのに、

GWに観る(かもしれない)と言われ、

『セッション』も面白いらしいよと話題を変えられ、

どうせ行けないんだからとヤケになってしまって見てきました『バードマン』

 

かなり良かったです。

レイモンド・カーヴァーの詩の一節がエピグラフに引かれていて、

ほぉーと唸ってたら、カーヴァーの『愛について語るとき私達の語ること』という短編が劇中劇として出てきて、

これはちょっと良いかもしれないぞと背筋伸ばしてネクタイを締め直して気合入れてしまいました。

『バードマン』のあらすじ

かつてハリウッド映画『バードマン』シリーズでヒーローを演じ一躍時の人となったが今は落ち目のリーガン、自費を投じてブロードウェイでの再起を図るが、助演の俳優は暴走してプレビュー公演に失敗し、批評家からは酷評を予告され、リーガンの幻聴はますます心を追い詰めていく。初演日を迎え、意を決したリーガンの試みにニューヨークの演劇界が圧倒される。

こんな話だと思ってなくて、面白かったです。

予告編を見ただけでは、裸でニューヨークをうろつく主人公が大写しにされてたので、

落ち目の俳優がキチガイになって、それがかえって功を奏し、受け入れられてカムバックできちゃいました、完。みたいなくっだらねえやつかと邪推してました。

アカデミー賞がどうのこうのという評判を目にしても(まあね、あるわな)と流してました。

約束できてないデートを予めキャンセルされてなかったら見に行かなかったでしょう。

でも、凄く良かった。

カーヴァーが使われてる時点でもうハートはキャッチされてました。

最近読み返してたから余計に嬉しかったです。

改訂前の『ビギナーズ』の方で読み返してました。

今の状況からして思い出すはずが、映画で観て初めて気付きました。

映画に私が出てきてたんです。

「ビギナーズ」という短編のあらすじ。

二組の男女のカップルがディナーを食べに行く日暮れ前に、飲みながらテーブルを囲んで「愛」について語る。かつてストーカーから危険な目に遭わされた経験を女は愛と呼び、男は強く否定する。女からの愛を請いながらどうしても受け入れられず諦めの中で自殺していくエディーを巡って対立すると、もう一組のカップルがある愛のエピソードを紹介する。交通事故に遭いながら奇跡的に辛うじて生き残った老夫婦だが、入院中に老人は酷く落ち込んでいる…。

そう、この愛を請うても「ごめんねごめんねー」で追い返されるやつ役で、私が出てきてました。

ショックでした。

映画では飛び飛びで短編の内容が明かされるので、映画の観客はたぶん私がどうなったかわからないかと思いますが、

私はその場で死ねませんでした。

拳銃で自殺を図った私は救急車で病院に搬送されるとなんと、かつての恋人の現在の恋人である医者に処置されることに。私の頭は二倍にも膨れ上がって結局死んじゃいますが、すぐには死ねなかった。

拳銃を使ってでもすぐには死ねないのかと驚きのシーンですが(東条英機も自殺できなかった)、

それが伏線になってるんでしょうね、劇中劇での自殺シーンで私役を演じる主人公は本物の銃を使って自殺シーンを演じます。

というか、本当に自殺を試みますが、やはり私なので死ねませんでした。

死ねないのかよという驚きに打ちひしがれて見てました。

カウンセラーの人と自殺について話してたら「自殺って失敗する確率がけっこう高いんだよね。死ぬのは怖くないけど、失敗して不具のまま生きるのがこわくて死ねなかったよ」と打ち明けられたのを思い出しました。

今日は死ねなかった私。

飛び降りでも、車でも、銃でも(しかも二回も)。

映画自体は、意外な展開が良かったです。

超能力が使えるという設定があるんですが、一人でいるときに手を使ってもできることを手を使わずにできるという超能力で、くだらなくて笑えました。

テレビを消すとか、物を壊すとか、灰皿を回すとか、その程度の超能力。

飛び降り自殺しそうなリーガンを見て駆けつけた人が「誰か会いたい人はいるか?」と尋ねるシーンにぐっときました。

その台詞を読んだ瞬間、私をふった人を思い出してまた落ち込む落ち込む。

今度は成功するかと期待された飛び降り自殺もできなかったし。

本物もフィクションも相変わらず糞だな私はと、嫌な気持ちになるなる。

映画の映像はとても綺麗でした。

肌の質感がよく見えてて、映像がシャープで綺麗でした。

長回し風で作られてて、落語っぽいなと思ってました。誰かやってくれ。

 

そうそう、劇場で最近は予告以外に普通のCMも流れてて、スーモのCMに殺されかけました。

プロポーズして成功してやがんだ。とおおおおおおーーーーーっても、きつかったっす。

しかも2回も見ちゃったんだ。

何故かと言うと。ベベンベン。

 

予めキャンセルされる(約束もしてない)デートを先取りして一人で見てくるシリーズが思いのほか成功したので、『セッション』も見てきました。

どうせ行けないんだから、先に楽しんでおこうと進んで苦しんできました。

予告ではひたすらにドラムを叩くシーンしか見られなくて、どんな話かわからないままに見てきました。

いやあ興奮しました。

あのね、苦すぎ。

小津安二郎が『秋刀魚の味』を、ワタが苦いからという理由で名付けたらしいけど、『セッション』も邦題は『秋刀魚の味』でいいと思います。

それくらい苦い。

『セッション』あらすじ

全米一の音楽大学院に入学したアンドリュー青年は練習中に憧れのフレッチャー教授からスカアウトされる。成功への期待とそれに伴う血を流す努力、恋人と別れてまでの追い詰めるような集中をもってしても不運からチャンスをフイにしてしまう。失意のうちに暮らして生活を立て直し始めると、フレッチャーは学校を辞めてプロの指揮者となっており、演奏に誘ってくる。元恋人をコンサートに誘おうと電話をかけるも彼氏の存在を知ってしまい、アンドリューはいっそう音楽に賭ける。演奏家としてのデビューもかかったコンサートの直前、フレッチャーは教職を追われた原因を知っているとアンドリューに明かす。

ハードさは音楽大学院版の『フルメタル・ジャケット』でした。

アンドリューがさ、映画館に通ってるらしいんだけど、そこの売店の女の子に惚れてて、

デートに誘うんですよ。

上手くいくんだけど、最初のデートからして会話がかみあわなくて、

男はエリート学校で夢に向かってる、女はそこそこの大学でぼやっと通ってホームシックでいる。

話の咬み合わない感じが苦しい苦しい。

こんなところにも私が!

友達が出来ずに家族からも面倒くさがられて価値を認められず、そのうえやっと出来たデートでも大失敗するなんて形で、『セッション』にも出演してました。

やっと落ち着いてから昔の恋人に電話して、ちゃんと失敗する私。

アンドリューは交通事故に遭うんですが死ねませんでした。

またしても死ねなかった私。

 

飛び降りも止められ、車に飛び込む勇気が出ず、銃でも死ねず、交通事故でも無事だなんて。

死ねなかったなあ、死ぬ勇気なかったなあと帰宅してから腹をふくらませるやつを作ってると、やっと泣けそうになったんですが、

泣けませんでした。

いきなり泣きそうになったのも嫌な感じだけど、やっぱりちょっとは泣きたかった。

泣けなかった。

 

死にたいな死のうかなと思ってる人にしては変ですが、

妻に先立たれたアンソロジーを買っちゃいました。

まずは高村光太郎のとこだけ読みました。

智恵子抄』の智恵子って享年52なのね。

26,7歳くらいだと思ってましたよ。あの詩に描かれた瑞々しさからして。

まさか更年期なんて言葉が出てくるとは。

勝手な印象のせいで倍近く生きちゃたイメージ。

で、芸術で生活してたからか、お金なくてろくに着物も作ってあげられなかったんですと。

そのせいで書かれた詩が、「あなたはどんどん綺麗になる」とか謳いあげてるやつ。

年をとって装飾がなくなれば無くなるほどに、綺麗になるんですと。

うまいこと言っちゃったなあと呆れるやら羨むやら、苦しくなるやら。

そうそう、『バードマン』でエドワード・ノートンが言葉のうまさで女の子を口説き落としてヤるシーンがあるんですよ。

もうその屋上のいちゃつく横から飛び降りたくて仕方なかったです。

歯の浮くような言葉で口説いてくる男に対して「ダサいポップスみたい」なんて返しながらやっちゃうなんて。

 

明日はちゃんと私が死ぬ映画を見たいです。

あるいは映画と競争か。

 

バードマンで、一番大事な子供が酷く扱われたと激昂してて、

うーん、死にたいとか死のうとか考えて生きてるの申し訳ない、申し訳無さから死にたい、

みたいな下らない冗談を反射的に考えてしまって、

反射的に「死のう」か冗談かで考えてしまってます。

だからフラレるんだよ。