「ヤサシイデスネ」

大学院の友達に会いました。

 

会う前から腹立ててて、もうずっと止そう止そう、もっと腹立てるだけだと思ってたんですが、

意思の弱さでしょうね、会ってしまいました。

いらいらしてるか、いらいらが表面に現れてないかの二通りしかなく、

うわー楽しいな、という我の忘れ方はなかったように思い出される。

いやだなーと思って会うともうだめですね。

 

何が嫌かって考えると、わたしの嫌いなおばさんに似ているのではないかしら。

友達と同じ名前の店や地名を見つけると写真を撮って見せるという習性が私にはあるのですが、

それについて「ヤサシイデスネ」と言われた。

はあ?優しいか?優しさの表れか?優しいとこんなことするんか?優しくないだろ別に。こんなん優しくないだろ。

ぱっと優しさの例が出てこないけども、

お前と同じ名前の土地がロシアにあったでーと言われて、

(ああ、この人は優しいなあ)って思うか?

(アホか)で終わる話でしょ、単なるカンバセーションピースでしょ、優しいとか冷たいとかそういう話ではないでしょ、何考えてんだ。

優しいってのは、人類愛の身近版とか世話に砕けた愛情みたいなことでしょ、あなたの味方ですよというような、愛情というには人間関係に於いて距離のあるものでしょう。

同じ響きの道具があってそれを教えてそれが広義の愛情か?

そりゃあ、嫌いなおばさんには絶対にしませんよ、それどころか普通の友達にもようしませんよ、

けっこうかかなりか、仲いいほうだと思いますよでも!

優しさじゃあねえだろと。

信号とか踏み切りを渡ろうとしてるおばあさんの手を引くとか、

仲の良いいとこが幽霊を見たって言うから幽霊がいると信じるとか、

自分のことは置いといて、相手の尊厳を第一にするのが優しさじゃあないんでしょうか。

そんな、君の名前とおなじやでって見せて、

(ああ、この人がいてくれてよかった、助かったわあ)と感謝されるか?

そんな行為を「優しい」と言うなんて、

何考えてるんだと。

いくら肯定的なコメントとは言え、

雑な褒め言葉ほどむかつくものはないですよ。

そんなんだったら黙っててもらわれたほうがよっぽどマシですよ。

褒めりゃいいってもんじゃないですよ。

ああ、この人は何も考えてないんだなとか、

この人は私のことを少しもわかろうとしてないなってことははっきりと伝わりますけどね。

自分のことにしか興味がないんだろなって。

雑にほめるくせじぶんのことは「どう?どう?」ってただ褒めて欲しいだけなんだなって。

そんなんDVのカウンセリングに来るくせに全く改善しようとしない人と一緒じゃん。

すっきりするために書いてるつもりなのに、かえって腹立ってくる。

 

そんなんでも、

容姿端麗だったら許せてしまうんでしょうけどね!

たいした付き合いでもないから、短い間後悔と我慢してればと諦められるけども、

大した美人だったらかわいいなあかわいいなあで済んでしまうのかもしれませんが。

 

平家物語とかを「ほれ、解説して」と言うけども、

全く、これっぽっちも興味ないくせに、

こいつ喋らせとけば満足じゃろとばかりに、

丸投げなことされて、

というかそもそも解説ついてるのに!

興味ないくせに解説しろとか、御主人様か何かかと。

絵も古典も毛先ほども知らん上に興味関心さえもゼロのくせして、

ほれ何か説明してみい、このきっかけで興味もつかもしれんでって、

そんな態度の奴がいくら聞いても頭に入るわけねえだろが!

小馬鹿にしくさって。

人の喋るの聞いて全部興味持ってたら今頃南方熊楠だろうが、

何も興味なくて20代半ばまでなっといて、

今更興味持つかよ馬鹿か。