見て回るタイプの年譜
このあいだ、『須賀敦子の世界』展に行ってきました。
神奈川近代文学館で開催されてましたが、先日終わりました。
予習として文庫版の全集を読もうと思ってたんですが、
怠け者っぷりを発揮して殆ど読み直すことなしに見てきました。
全体には、須賀敦子の一生を、写真と文章で辿るというもの。
見て回るタイプの年譜ですね。
今回が初お目見えの写真や手紙がざっくざくという須賀敦子という作家マニアにはたまらん内容です。
育った家がどんなところでそれを示す新聞広告とか、
幼いころ過ごした地図とか、
麻布界隈を振り返る手紙とかから始まって、
留学していた頃にご両親に宛てた手紙が展示されていたり、
結婚前にペッピーノに出した手紙や、
丸谷才一に書いた手紙がありました。
いやあ、だいぶ文字情報の多い展覧会でした。
気になったことがいくつかありました。
1:カルヴィーノの翻訳が未発表のままあるらしいです。
有吉佐和子と学生時代に知り合いで、イタリアでも会ったんだそうです。
その縁でカルヴィーノの『木登り男爵』の翻訳を持って出版社をいくつか回ったんだけどもとり合ってもらえなかったと、キャプションにありました。
2:未発表の習作原稿があったんですが、その文章があの須賀敦子のものとはちょっと思えないものでした。何か読みにくいというか、本当に須賀敦子の原稿かしらと疑いたくなるような文体でした。
湯川豊が須賀敦子本で書いていた、会話を地の文に入れる、つまり「」を使わないで会話を描写するという工夫が、その習作原稿にはまだなされていなかったということでした。
その工夫のないせいで、イタリア人との会話で訛った文章が書かれていて、読んでる頭が捻れてきて、須賀敦子っぽくないなと思ったんでした。
3:家族あての手紙を、カーボンコピーして手紙写し集を作っていたこと。
ヨーロッパの作家は手紙を出すときにカーボンコピーしてるらしく、そのおかげで書簡集が作りやすいんだとか。
須賀敦子もそれをしていた。
しかもですよ。フランスとかイタリアから出した手紙の風景描写がうっとりしちゃうんですわ。
さすがの作家志望と言いたくなるところ。
4:後年の手紙の中で、エマウス運動を後悔するようなことが書いてあったこと。
後悔とまでは行かないのかも知れないけども、回り道のように表現していたことが、印象深いです。
作家になったわけだから確かにエマウス運動はその生涯からすると脇道と言えば言えなくもなさそうですが。
5:「どんぐりのたわごと」で発表した「こうちゃん」をペッピーノと二人でイタリア語に翻訳していたこと。
展覧会には行ってみてよかったなと思いつつも、やっぱり作品を読むのが一番いいよなとも思うのでした。
『つるとはな』という新創刊の雑誌に、須賀敦子が作家デビュー直前に友人に宛てた手紙が掲載されてるらしく、
購入を迷ってます。
そして、河出の文芸別冊の『須賀敦子ふたたび』では全集未収録エッセイが3篇も載ってて、
もしかしてこれから50年分くらいの須賀敦子作品の小出し計画が組まれてるんじゃないかしら。
編集者への手紙はまだほとんど公開されてないし、未収録のエッセイはまだあるだろうし、未発表の翻訳やら研究やらがあるとなると、
須賀敦子の全集が改定されるのは20年位先になるんですかね。
漱石の全集は作家としての漱石だけじゃなくて、研究者としての漱石も収録されてるけども、
大抵の作家兼学者は、全集の際に研究部門は無視される。
西脇順三郎はこの例だし(尤も、最近になって学者部門が発売されてたけども)、須賀敦子の博士論文も読めない。
全集の別館がはやく文庫化ならないかなー。