好きなもの1

前にブログをやってたときも悩んだんだけど、

自己紹介って苦手。

 

なので、好きなものについて書く。

村上春樹が、コロッケについて書くことで書く人とコロッケとの距離がわかるし、どんな人かもわかる、みたいなことをエッセイに書いてた。

カキフライだったかもしれない。

そういえば村上春樹のエッセイに「うさぎや」っていう食べ物やの話があって、

それはたしかコロッケがめっぽう美味しいお店で、こぢんまりとしてるのでちょっとエッセイには場所は書けない、みたいな説明がされてて、

たぶんそのお店は無いんだろうなと思ってるけども、

青山とか麻布のあたりのちょっと細い道なんかを歩いてるとふっと「こんなお店かもしれんぞ」とか思い出すことがある。

ねーんだろうなと頭ではわかっていながら、妙に現実感の濃い書きぶりのせいで心から離れないでいる。

離れないわりにはやっぱり最近読み直してるわけでもないので、

たしか店主(おやじ)がどんな人で、愛想がいいわけではなくてむしろ職人気質な趣が気に入って通っているとか、たまたまこの前入ったときはちょうどコロッケを切らしてて、その代わりと言ってはなんだけど(常連なので)、まかない用の惣菜で定食を用意してもらったんだけどそれがなかなかどうして、ちょっと他では食べられない美味しさなのだ、特にこの添えてあるポテトサラダのバランスが絶妙、みたいな描写があったはずなんだけど、

どうしてもコロッケが店主のようにイメージされてしまう。

モノマネの方ではなく、あのキテレツ大百科で高らかに謳い揚げられたやつ。

いやまてよ、「うさぎや」はとんかつが美味しいお店で、まかないがコロッケだったか?

こーゆーときは調べないことにしています。

すぐ調べられるから。

たぶんこの記憶とかお店の説明もけっこう違うんだろうなあ。

昔読んだ本とか観た映画の筋って、大好きなものでもやっぱり大して覚えてなくて、

展開にハラハラさせられて(そうそう、こういうところが好きだった)とドキドキする。

 

昔読んだ物を読み返すブームがきてたときには実家の本棚のを読みまくって、

やっぱり感動したりすると同時に、そうだ、自分はこういうものから作られているんだ、と胸が熱くなった。

そして、本に関わる思い出が小説を読み進めながら筋とは関係なく浮かんできたりもした。

教育実習で来てた美人のちえこ先生がくれた本のうちの一冊だったとか、それで吉本ばなな湯本香樹実にはまって自分でも書い集めて、

そうだ、あけちゃんに貸したんだっけ、卒業前におかあさんといっしょに返しにきてくれたな、

みたいなマドレーヌ効果からくる意識の流れを楽しんだり、

時間の流れとその量の莫大さに愕然としたり呆然としたり、

ついでに当時買うだけで読んでなかった同じ作家や同じテーマの本も読むことになったりした。

昔読んだ本を読み返すのはとても楽しいです。

すごくグッときてたフレーズなんか読むと、当時の自分に会ってるような気さえするときがある。

天才バカボン』の七巻とか、『火の鳥』とか、『キッチン』とか『TSUGUMI』とか。

『ポプラの秋』のおばあさんが通り雨が去ったあとも傘をさしたまま歩いてて、「傘を干してんだよ」と言うとこを読むとすぐに連想されるのが、たしか菊池亜希子が昔やってたブログで「傘をさしたまま地下鉄改札に行く階段を降りてた事があって、通りすがる人に変な目で何人も見てくるから気づいたけど、平気な顔をして畳んだ」みたいなことが書いてあったのを思い出してしまう。

でもそれも菊池亜希子だったかどうか、あんまり自信ない。

 

うろ覚えから生まれた最良の一つである『横しぐれ』もすごく好きな小説の一つ。

初めて読んだときは仕掛けに興奮したけども、

しばらく経ってから二回目に読んだら、父の話と山頭火の話がからみ合っていたのに切り離しロケットみたいに、後半から父の話だけになってて、そこはちょっとつまらなかった。

今読んだらその切り離しがいいと思うかもしれない。

何度目かに読んで、がっかりするということもあって、といっても冷静に読み返すことも少ないのだけど、最近は『雲のゆき来』を読み返して拍子抜けした。

話のよくわからなさが好きなのだけれど、さすがに何回も調べたりしながら読むとやっぱりわかってくる。

今はどこが拍子抜けポイントだったか忘れたけども。