あとは、、、おっぱいとかは言っていいのか?みたいな逡巡
村上春樹による新訳『フラニーとズーイ』が出てたのを本屋で見ました。
契約の問題によって、本には解説やらが付けられず、
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のときや、
柴田元幸訳の『ナイン・ストーリーズ』みたいに、
別な本を出すという解決策があり、
今回は文庫に挟み込みのエッセイがついてる。
そのエッセイはネットでも読める。
新潮社のホームページに載ってた。
あったり前なんだけどべた褒め。
え、そんなに好きだったの!?って驚く。
読み返してみて、すごかったという内容なので、
「実はいい小説なんですよ」みたいなことが書いてあるんだけど、
それにしても褒めすぎじゃあないか。
それは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のときも思った。
それまでのエッセイでは「あんまりね」みたいなことを書いてたと思うんだけど、
なんせ『キャッチャー』って略してさ、
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の解説とか、
『サロンドットコム日本語版』の日本語版オリジナルの一つであるサリンジャーの項目とか、
ミネルヴァ書房だったかの論文集ぽいやつとか、
とろけるくらいの褒めっぷり。
もちろん、宣伝文だから、「〜の点では難があるけれども、概ね良い小説と言ってしまって差支えがないのではないかという意見が、ある業界の中では一定数以上いることがふつうである」なんて書くわけない。
そりゃあ良いって書くに決まってるんだけど、それにしても。
じゃあもっと前から言ってよ!って思っちゃう。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の対談では「もったりしたしゃべり方は関西弁で訳すとちょうどいいんじゃないか。関西限定で出版しようかな」みたいな話しかしてなかったじゃん!
この変り身、というと悪く言い過ぎなんだろうけど、サプライズというよりは若干ショックである。
丸谷才一が『挨拶はたいへんだ』の中で、「結婚式の挨拶は褒め10。他の場合はけなしが2か3くらい。」みたいなことを書いてたと思うんだけど、
もうホント、『フラニーとズーイ』の門出を祝う出初め式の祝辞みたい。
あるいは、女性を口説いてるみたいだ。
『村上さんに〜』みたいなシリーズの読者からの質問に答える本がありますよね。
そこで、「彼女から急に、あたしの好きなとこ100個言ってって言われて困りまして、なんとかそういう時に(大人なんだから)といさめる良い言い方はありませんか」という質問に対して文豪は、
「僕だったら好きなところを110個言います。女性はいくつになっても女の子です」って答えてた。
かっこいいと思ってしまった。
そりゃあ急にそんなことを言えと言われたら困ると思う。
言うとしても、かわいい、あとは、、、おっぱいとかは言っていいのか?みたいな逡巡があるうちに
「ひどい!!!!」とか言われて更に困るというのが見えてくる。
『ノルウェイの森』を初めて読んだときに(大学生はセックスばっかりしてんなあ)と思った馬鹿はそんな点でも尊敬をしたのでした。
その110個挙げるということが、サリンジャー作品の宣伝エッセイでは思い出される。
あの手この手の連続パンチ、度肝を抜くアクション。
小説に対してそんな言い方があるのか、なるほど、目の付け所はそこなのね、うーん褒めにも村上節ですな、などなど、芸を堪能できる。
宣伝文のレトリックが女性を口説く際にも有効だったのではないかと仮説はとくに検証しようがないので、