手がサンマくさい。

何もしなくていいと思ってる日はあっという間に終わってしまって、最終的にはジャムを煮ながら長嶋有のエッセイを読んでました。

だらだらした、というのが正直なところ。

面倒くささが体に染み渡っていて、夕方くらいからやっと外出し、アンチョヴィーを作ってるので、その最後の工程の油漬けをするために、オリーブオイルを買うなどをしました。

サンマでアンチョビを作ってみたってサイトはいくつかあって、そのどれも脂の多さを書いてて、塩漬けだったサンマを取り出したときの

ぬるっ

とした感じはたしかに特筆すべき脂の多さでした。

三枚におろして油に漬けるんだけど、おろしたことなくて、

見よう見まねどころか、おろすってこんなんだろとイメージを頼りにやってみた。

でも、二尾目からは腹と背に骨に沿ってずずーっと包丁を入れて手で剥がした。

けっこうそれでできたと思う。

ローリエとかは買うの忘れてて、コショウとわさびとトウガラシと生姜を入れてみました。このせいで悪くなったりしてね。

油漬けは何ヶ月くらいで食べていいとなるんだろか。油漬けは保存方法であって、味には関係ないのかしら。

 

長嶋有のエッセイは面白いです。声出して何度も笑ってる。

『いろんな気持ちが本当の気持ち』ってちくま文庫のやつ。

高野文子についての文章があって、これは短かったのでもっと読みたい。

『棒がいっぽん』に少し触れてて、昔付き合ってた人から誕生日にもらったなーとか思い出しちゃったせいで、そのあとのサリンジャーの固有名詞論でも思い出してしまった。

コロスキン」といういわゆる水絆創膏が出てきて、また。

水絆創膏というのは、ノーベルが扱いにくい爆薬であるニトログリセリンを安定させるために媒体として用いたもの(うろおぼえ)とだけ知ってて、指を切ったか何かしたときに使わせてもらった。

水絆創膏ってけっこうレアだと思うんだけど、そうでもないのかしら。

なんだかそういう変わったのを持ってて、その人とお付き合いしてるのは面白かった。

どんな人なのか近くで知りたいというような交際したら楽しいだろうなと、何もすることなく無為に一言も発することなく過ごした休日のお終いに思うというのは、なんとも感慨深い。

 

手がサンマくさい。

あーサンマ焼いて待ってたら怒られたなーとか思いだしてしまった。

自由が丘で花見して、タイ料理屋で昼からビール飲んだなとか、天気よかったなとか。

これはまずい。

 

たまたま入った服屋に本棚があって、おしゃれなとこらしく旅とかテーマ別に本もセレクトして売ってた。(あとおしゃれじゃない客には無愛想だった。)

そこで菊池亜希子の「みちくさ」の一巻を買った。

二巻しか持ってなくてずっと探してた。

嬉しい。

あとHanako For Menのvol. 11も買ってしまった。

もう11号なのかと詠嘆のけりを使いたくなる。

特集は「寿司をカウンターで食べること」。

「寿司」特集ではなくて、ちょっと(デート)マニュアルっぽい。

カウンターの寿司屋デビューが特集だからそりゃあマニュアルにもならあな。

何度か行ったことのある店へ、これを読んで予習して行ってみようと思います。

そのうち初任給で父に寿司を奢らねばならんので、かっこつけてみよう。

 

小説を読むブームが去ってしまってる。

長嶋有の小説ブームでもあったんだけど、数が少ないもんで、と言い訳しても、文庫でしか読んでないからで単行本のはまだ読んでない。

 

目が乾く。

メガネをかけてじっと見るとつい小さい目を見開いてしまうので、たぶんそのせい。

目薬あれば楽かもしれない。

 

白魚食べて美味しかった話を父にしたら、俺よりうまいもん食ってんだなと羨む声で言われた。

だからというんでも無いけども、今日は変わったものは食べなかった。

 

鬱々と引きこもりにけるときに桜がどばっと咲いていたみたいで、もう見かけるのはだいたい葉が混じりつつあって少しさみしかったところ、買い物の帰り道で見た桜が満開風で、桜っていいなと思いました。

たまプラーザの桜はとてもいいんですが、用事がないので、見に行けない。

桜が見たいなと思ってるともう散ってる。

来年こそはと言うと鬼が笑う。

花見って毎年誰かしら誘ってるけど成功したのって既出の以前付き合ってた人以来、いないかもしれない。

高校、大学、おしまい。

なんとも。

 

なんかモテないとかさびしいみたいなことしか書いてないぞ。

頑張れ自分。

モテなくて遊んでくれる人がいないけどそれで辛いかというと、加齢による慣れもあるのでしょう、それほどでもない。

むしろ、自分で作って自分で食べることで満足して、面白いことがあったらこれに書くか父に言うかして満足してる気がする。

コミュニケーションを閉じて小さな円の中で充足してると、あんまり人生的な持続可能性が低く思われてきてぞっとする。

長嶋有の『パラレル』にあった「ラブとジョブ」という二項対立で考えると、ジョブの方は努力でなんとかなりそうな気がするが、ラブの方はもう自分の力ではどうにもならないと思えてくる。

というのも、というのも話が強引でおかしいけれど、国立の音楽大学を出た才女が

「お弁当は好きな人にしか作りません!!!」と言ってて

あれ?恋人に弁当的なものを作ってもらったことってなくね?と思い至ってなんだかおかしくなったので、おかしいことにしておく。