エッセイもすごく面白いけど、やっぱりたくさんたくさん小説書いてほしい。
小説読んでない小説読んでない書いてたので、小説読んだんだけど、それってちょっと感想書くために読んでないかというとやっぱりそうじゃなくて、ばっちり心震えました。
長嶋有の短篇集である『祝福』と『泣かない女はいない』のタイトルトラック「泣かない女はいない」を読みました。
短篇集のは、結婚に関わる話が良かった。
この良さについて結婚したい人と語り合いたい。
「泣かない女はいない」はネタバレすると、と言ってもネタバレして面白くなくなるような小説ではなくて、それに枝葉末節なことなのでネタバレとも言わないだろうけども。
ボブ・マーリーのNo woman no cryのことだったのね。
なんか題のハードボイルドな響きに読む前からずっと惹かれていたけどもまさかマーリーとは。
そして、これは小説の中でも言及されるけども、「泣かない女はいない」と意味を取ることは誤訳というか一般的な解釈とは違うみたいで、文法的には「女がいなければ泣かない」となるんだけど、それは四角四面でみずくさい。実際は「女よ泣くな」くらいの意味だそうですぞ。
なんとなく「泣く女がいないといい」みたいな意味に思ってたのは曲の感動的な印象から。
小説では、惹かれていく一つとして書かれてる。
この、恋人のいる女性なんだけど別な男性に惹かれていくっていうのは『パラレル』でもあったし『ジャージの二人』でもあった。作者の実体験のようですね。実体験を小説に使うことに関しては、漫画家の萩尾望都特集の文芸別冊での対談で語っておられます。
そこでは料理の腕と素材に喩えている。手を加えたほうが美味しくなる素材もあれば、刺し身で出すのが一番美味しい素材もあるという言い方で。
うまいこと言うなあ。
そうだ、エッセイ集読んだんですよ『いろんな気持ちが本当の気持ち』と『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』。半分以下ウソで、後者は読みさし。
エッセイでもうまいことたくさん書いてある。エッセイもすごく面白いけど、やっぱりたくさんたくさん小説書いてほしい。
全部買うからたくさん小説を書いてください長嶋先生。
丸谷才一だったどう論じるんだろか。市民小説とかも晩年は言ってたっけか。職場が舞台になっててふと気になった。でも市民ってもっと上流階級か。弁護士とか医者だよな。
書評家でもあったけど、でかい文学論を戦わせるような形では論じてなかったような気もするけども、文明がどうのという形では大きい話はしてたと思う。
まあでもどう論じられてても長嶋有面白いからいいや。
よく言葉になってるなあって気持ちがたくさん書かれてる。
だから作家だったり小説として成立してるってことなんでしょうが。
こういう、ものすごく切れ味がいい表現って、出会い頭にばっさり心に斬りつけてくるんだけど、そしてすごく深くまで届いているんだけど、読んだなっては覚えててやっぱりすぐ忘れちゃう。のこぎりで切ったような傷の残り方はしないで、綺麗に忘れてる。
だから読みなおしても面白く読めるんだろうけど、いい表現は忘れないでおきたい。
そしたらもっとマシな人生になるんじゃないかと思ってしまうよ。
春だね。
みんな、就職したてでちょっと浮かれてんじゃないかと思う。
油断ならない美人から、暇だからって今までそんな文送ってこなかったよなみたいなのが送られてきてびっくりした。
ちょっとみんな微熱くらいなんじゃないか。
デイリーポータルZの林さんの最新作が「通販番組の方法を用いた自己紹介」で、そこで打ち解けちゃって毎日LINEしてます!みたいのが書いてあって、その油断ならない美人とけっこうLINEしてたの思い出して、んー仲良かった時期もあったなあと感慨深くなるのも、春だったんだね。
曇りい、ガラスのお、窓を叩いてえ、君のお、時計をお、メンフィスブルースアゲインしてえよ。
ディランのライブが近いのでiPhoneの中身をディラン漬けにしてみよう。