恋愛って大変だなあと、自分の限界という話

恋愛って大変だなあと、自分の限界という話

 

友人がまたしても恋に敗れました。

友人の失恋遍歴にはだいぶ詳しい上に、相手も少しは知っているので、敗れたと言っても負け戦を挑んだ結果なので、失恋には驚きません。

むしろ友人がその失恋にショックを受けていることに驚いています。

負け戦だと思っていなかったということでしょう。

好きになって、でも叶わないと知りつつ好きでいるということはなんだかファンみたいで、実際に芸能人とかアイドル相手ならそれでもまだ、大抵の人は「釣り合わぬは不縁の元」と納得していられるしょうが、それがちょっとでも身近だとそうはうまくはいかないようで、会えるというのは愛情に於いて思ったよりも大きいんですね。

アイドルの握手会とかライブなんてえのはその効果かもしれませんが、もっと身近だともっと厄介で、単純接触効果なんですね、会えば会うほどディスクシステムです。

それが控えめだとか自信のない人ならまだしも、自信はあるのに相手からの評価が伴わない場合はけっこうまずくて、しかも相手が人気者とくれば尚のこと絶望的であります。アーコリャコリャ。

となると、もう行く先はあまりありません。人間関係がぶち壊れるのを無視してぶち込むか、身を引くか。前者は目も当てられなくなって、後者は「男はつらいよ」でお馴染みの結果です。

友人の失恋遍歴はしってるつもりですが、まるで初めてフられたかのような落ち込みように、友人とは言え他人事でありますから、ある種の美しささえ感じます。私だったら(まあ、そんなものよな)という敗北感の基礎工事が出来上がってますので、材料が揃えばすぐに失恋のバラックから大伽藍まで一夜城ですが、友人の場合はやはり自信の高さがナギブナセル位置エネルギーなのでしょう、内臓が5〜6個なくなったような、泥沼に沈んだような、思わず募金したくなるような、イカロスもマッツァオな気の毒さを体中に湛えます。

その割に、当然に落ちていく割に、はじめそのスピードは遅く、釣り合うという高みまで上らせた翼は意外にもふうわりと力を残して、それでいて決心がつくと地面に向かうために飛んだんだとばかりに一散に降りていきます。

その間、全く人の話は聞き入れません。全く。

そもそもが他人の話を聞かないという特技があるので、却ってそれが十全に発揮されていると素直だとすら誤解されますが、実は全く耳を傾けません。

あるいは、私が見下されているために全く尊重されていないか、ですが。

 

私の話:

人から話されることが多いです。悩みとか落ち込みとか、トラウマとかメンヘラとか。まるでごみ溜めです。

いい話、美しい言葉、よかったことなどは報告されず、大抵が人に言えないこと、打ち明け話、悪い秘密、嫌な過去。

上の肛門からブリブリとひり出した後は一顧だにされないのが精神便所の役割。

吐き出したいことがあると寄ってきて、楽しい時には呼ばれないって嫌ですね。

聞き上手はモテるとか言うけど正確には、モテる聞き上手がいるということですね。

うんこ汲み汲みカーでパーティー会場には行かないくらい、当然のこと。

役割分担、適材適所、人には人の乳酸菌。

だから、話って聞いてもらえませんね。いや、そういう人間関係を築いてこなかったってことになるんでしょうか。

そして、いざ話す番となると今度は打ち明け方がわからなくなっている。

何を話したらいいのかわからないし、相手の退屈する顔が浮かんでくる。

つまんねえだろう、人の話なんて聞きたくないから誰も話をするんだろうなあ。

そう思ってると本当に喋らせてる方が楽になってきた。

楽しそうに聞くし、過不足無く相槌は打つし、適度に質問するし、楽。

慣れてくると、自分がやってる態度を真似してほしくなってるんだと思う。

真剣に聞いてるから相槌を打たない人もいるし、真面目に聞いてるから表情を変えない人もいるし、喋らせたいように喋らせるタイプだから質問もしないという人もいるでしょう。

ごみ溜にされていつの間にか自分もごみ溜が欲しくなってた。ところが、いざごみ溜をみつけると、澱物の出し方がわからない。面倒だからごみ溜のごみ溜になる悪循環。

ゴミを出す新陳代謝が無いと老廃物が溜まって醜くなるように、私もどうにかして老廃物を出さなくちゃならないけども、老廃物を除くのは良いんだと体を洗いすぎるのは却って肌に悪いそうで、友人にもそんな悪循環が見られる。

 

以前エレ片のリスナーの質問で、「卑屈だからエレ片が好きだけど、その所為で卑屈がエスカレートしてるので、エレ片を聞くのを止めたほうがいいんじゃないかと思ってる」というのがあった。

それについて放送では「聞いてよ~」と答えてた。

友人にもそんな中毒的な悪循環が見られる。デフレスパイラル

辛くてアルコールを摂って、その所為で事態が悪化して、更に辛くなってアルコールに手を出して、もう体は正直だぜゲヘヘという中毒になっているように思われる。

まあでも、何言ったって誰も聞かないですよね。

水を飲むのは馬次第で、言って聞かせて変わるなら春の心はのどけからまし。

友人の中毒も私への軽蔑も、変わるものじゃないから人間関係は切れたり繋がったりするんですよね。

 

そういうのがめんどくさくなるから手っ取り早く本読んだり映画見たりするんですよね。

「どうしてこんなに悲しいんだろう」を聴いたり。

「人にもまれてみんなの中で生きるのさ」で終わらず、「心を閉ざしている僕さ」で終わるのが誠実で素敵だと思います。あれが逆だったら『アバウトタイム』みたいな終身の教科書的で白ける(時間的に不可逆で生きてる人間に迎合しないで終わって欲しかった)。

 

暇なのか、便所としてでも繋がりのないことが怖いのか、話は聞いちゃいます。

そして、絶対に耳を傾けられてないとは知りつつも、意見やアドバイスを言っちゃうことがあるんですが、それがまあ代わり映えがないんですね。

それで、今の自分はせいぜいこのくらいのことしか言えないのかと呆れました。