『ブリキの太鼓』を読んじゃいました。

ブリキの太鼓』を読んじゃいました。

 

読了はとてもしんどかった!

なぜかって?

読みにくい書き方がされてるから!

ああ、文学だなあという感慨と、読みにくいなあというボヤキが表裏一体となってました。

映画を観てたので筋を追ったり、基本的なところの了解は大丈夫でした。

語り手が「ぼく」と「オスカル」を使ってるので、(もしかして双頭とか?東ローマ帝国かよ!)という無用の誤解も、映画では単純に一人なので、

(そういうテクなのね)とクリアできました。

この小説の設定でありながら一番語られるところが、自ら3歳で成長を止めたってところでしょうが、

びっくりしたのはその後、成長する!と思うと成長し始めて、小説のラストでは30歳の誕生日を迎えています。

映画では全く描かれなかったところを申しますと、

小説の設定が、オスカルが精神病院の患者として、自分の半生を振り返るものなのね。

で、なんで精神病院に患者としているのかというと、

好きだった看護婦の薬指を保管して持っていたから。

その看護婦は同僚に殺されて、たぶん原っぱとかに撒かれたのを、オスカルの犬が薬指だけ咥えて持ってくるので、

オスカルはアルコール漬けにして保管してたわけ。

で、パリで捕まって裁判の結果、精神病院に患者として収容されて、

でも真犯人が捕まって、釈放されちゃうとわかったあたりで30歳の誕生日を迎え、

キリストにもなれるし、新しい靴を買わなくちゃだしと前途洋洋な終わり方です。

という風に、何が起こったかを分かりやすく書いてしまうことも、年譜みたいなのを作れば可能でしょうが、

そしてそれも、回想もののために最初に出てきたことが後でまた詳しく説明されたりして、年譜になるとわかりやすくていいんでしょうが、

筋を追う小説ではないので、アンチョコはかなり無粋になりそうです。

整理して筋だけ追えるようにすると興ざめすることってありますよね。

『セバスチャンナイトの真実の生涯』の年譜を作って理解したら、

ほえーなるほど、と興奮が落ち着きました。

ブリキの太鼓』は『ナイト』ほど興奮して読んだわけではないので、年譜が合ったほうがむしろ親切そうです。

そんなことをしても、この小説の魅力とは相容れないので問題ないかもしれませんが。

この小説の魅力はズバリ、わかりにくく書いてあるとこでしょう。

と書いて、ああ、頭良かったらわかりにくくないんだから素直に「おもろいなあ」と東大生は読んでるんだろうと気付き、毒づきました。

とは言え、わかりにくさは結構なもんですよ。

思い出してるって設定のくせに、なんでそこまで一人称の視点に拘るんだ!もっと整理して語れ!と言いたくなるのは野暮ですね。

細かいエピソードはとてもおもしろくて、好きです。

ただ、けむにまかれてるような描写が済むと、気づいたら設定が進んでて、(また読み直しか)と勉強してるような気分でした(だからたまに飛ばした)。

 

あー、次は何を読もう。