『水の戯れ』を見てきました。
『水の戯れ』を見てきました。
菊池亜希子が出演してるので、見に行かずんばあらずと千秋楽でした。
感想としては「何がいいのかよくわからない」でした。
やたらとツイッターとかで、絶賛を目にしてて、内容も知らないままに期待してました。
もう人生がひっくり返って椅子から転げ落ちて座りションべんしてバカになるくらいの大傑作であろうと思ってちょこっと鼻腔を膨らませて喉を乾燥させながら劇場に行きました。
全く知らずに臨んだので、まあわかりにくいことこの上ない。
説明用の台詞や、展開上必要なバカとかがいなくて、
端々から察していくしかない。
(ああ、高尚芸術に身を浸している)と愉悦に咽び泣きながらわかってるふりをしてました。
舞台はずっと仕立屋の一階。左に入り口と仕事場、真ん中に階段、右に居間。
仕立屋の三人兄弟がいて、アラフォーの世代。
長男はシンガポールに出かけたりするなど貿易関係の仕事をしている。中国福建省出身の若い女といい仲。実家の権利を弟に譲る。
次男は実家である仕立屋を継いで仕事一筋で生きてきた。弟の妻に惚れている。
三男は14年前に自殺している。
三男の妻はとんでもない美人。三男と住むために借りたマンションが取り壊しになることが決まり、次に住むところを探している。次男と仲が良い。
これが、メインで、
脇役として、
近所の警官は青年くらいの見た目、小説を書いており、そのネタのためかテープレコーダーで会話を録音している。
なつみは19歳の浪人生。警官の彼女の親友で、警官とは補導された際に出会う。三男の妻をつけまわしている。
で、ざっくり言うと、
ずっと三男の妻に惚れてた次男の想いが通じ、同居および結婚することが決まるのが第一部。
第二部は半年後、憧れの結婚はいざ迎えてみれば、不機嫌と噛み合わなさと猜疑心が悪循環して最終的には、警官のピストルで次男が妻を撃つ。
おしまい。
警官がピストルを置いて外に行った時点で、あー、ピストルだろうなと思います。
そして、「衝撃のラスト」とか言われるラストも、現実ならたしかに衝撃ですが、どうしてもフィクションだと(撃つわなー)と思っちゃいます。
期待してたら、
あら、わけわかんないまま、思った通りに終わったぞという拍子抜け、ほっとかれでした。
いったいこれは何だったんだと感想をググって読みました。
あらすじとか説明で納得行ったのが、初演のDVDについてたアマゾンの説明です。
ーーー
ふたりは結婚することになって一緒に生活を始めるが、お互いに結婚して生活をすることに抱いていた充足感に違和感がある。好きだという感情がどのように生まれ、どういう確証を伴うものか、愛とは何か。そのもどかしさをどのように埋めていけばいいのか。
ーーー
なるほど!そういう主題だったのね!
だから大人のメロドラマなんて書いてあるわけね。
「付き合うまで、結婚まで」ではなくて、その先まであるから「大人の」とつくわけですね。
しかし悪人は出てこないのに、なぜだか図ったようにどんどん悪くなっていくあたりが、はじめに置いてけぼりのまま進んでったためか、のっていけませんでした。
思い出してみれば、ああいう、こんがらがって好意はあれどうまくいきっこない恋愛関係を経験してたのにも関わらず、
「だからどうした」が前景化されます。
そう思っちゃうと、ツイッターとかで目にする絶賛が気になります。
『水の戯れ』は何がいいのか。
やっぱり第二部の、だめになってくとこが肝なんでしょうね。
言葉尻をつかまえて文句を言って、あるいは捕まえられて腹を立てて、
かと言って、よっしゃひとつ腰を据えて話しあったろかとかもなく、
その割「ちゃんと結婚生活したい」みたいなことは言う。
そのへんの崩れていきかたが有識者にはぐっとくるのかもしれません。
でも見てて、あんな言い方されりゃあ腹も立つわな、そのくせ直しやしねえし、そりゃうまくいかんわなと、うまくいきっこないのがうまくいくわけないよ。
毎晩アイスを食べて太るくらい当然のこと。
昨日、歌丸の落語を聞きに行ったんですが、枕で結婚生活の話をしてました(つまり演目はおすわどん)。
長続きの秘訣は、諦めと、惰性と、生命保険だそうです。
『水の戯れ』には諦めがなくて、そのへんにリアリティを感じられなかったんだと思います。
そりゃあうまくいかんわな。
いや、勿論、うまくいかない背景には、三男の自殺やら、自殺した夫の兄と結婚するとか、元夫の実家に住むとか、モテすぎるとか、浮気の影がちらついて仕方ないとか、変な女につきまとわれてるとか、色々様々多種多様にありますが、
「ニッポンサッカーは勝つしか無い勝つしか無い言っても勝つ気が無かったら勝てないよ」という幕張でのセルジオ越後が言ってるように、
「ちゃんと結婚生活してえ」と言ってる人も問題ありに見えて、
そりゃあ発砲もするわなと。
ただ、発砲については二点気になりました。
たしか、警察のピストルは一発目は空砲じゃなかったっけ。1発目で花瓶割れてたよ。
そして、二発目を菊池亜希子にぶち込むというシーンなんだろうけど、ちょうど階段が途切れたところが見える席でして、
二発目は菊池亜希子がいないところに撃ってたんですよね。
だから、私の席からは衝撃のラストは、
花瓶に撃っちゃったけども、菊池亜希子は無事と見えてました。
カッとなったけど、怪我だけで夫婦ともに無事という衝撃のラストになってました。
前の席と後ろの席とでラストの解釈が変わるのはそういう仕様なんでしょうか。
面白さがわからず、
演出?にも不満があり、
しかも舞台でなくちゃいけないという内容でもないと思ったので、
絶賛の意味がよくわかりませんでした。
おとなになったら分かるのかしら。
しかしながら、菊池亜希子様はお美しゅうございました。
終演後、役者紹介みたいなかたちでステージにみんな整列するのですが、
そのときに菊池亜希子様がうるうるとしてらして、そこに本日一番の感動しました。
ああこれは本物の心の動きだと。
お美しゅうござるが、演技が上手て人ではないじゃないですか、笑うところとか、
笑うってハンコ押されてるような笑い方で、演技してるなあと見てました。
歌舞伎や落語にばかり行ってたので、役者が出てきた時に拍手しないとか、
大統領!とか言わないのってちょっとびっくりしました。
静か過ぎやしないかとか、
じっとしてよくわからない話を有難がって観るなんて、
なんかお勉強しにきたみたいだなとか思っちゃうのは、
高尚じゃないですよねえ。
内容のギャグとかシリアスとか真面目とか怒りとかの配分が全部同じくらいで、
ギャグは笑っていいのかダメなのか、つまりギャグに見えてるけど本当にギャグなのか、笑ってしまってはいけないところがおかしく見えてるだけなのかとか、気になりました。
客席から笑い声があがるときには、役者はちゃんと「おどけてます」オーラを出してたので、たぶんそれ意外はおかしく見えただけなんでしょうね。
そういえば、
同じ事件でもロングショットだと喜劇でクロースショットだと悲劇みたいないい方があるじゃないですか。
以前、同じタイミングで二人の別な演劇関係者が書いてたのを見て、
しかも「ホントそうだよねえ」みたいな論調だったので、
ふざけてるのかなと思ったほどじゃった。
たしかチャップリンの言葉だっけ、荷台に載せた豚が逃げ出して追いかけてる人がいて、
それを周りで見てる人はおかしくてゲラゲラ笑ってたんだけど、
追いかけてる本人は悲壮な表情だったっってやつ。
手伝ってやれよ。
それとも追いかけてはバナナの皮で滑って転んだり柱に頭ぶつけたり、豚だと思って捕まえたのが新聞売りのおばちゃんだったとか、柵が壊れてるからしまうそばから豚が逃げていつまでも収容が終わらないとか、豚に追い詰められて牢に入れられるとか、そんなコントみたいなことをしてたんならそれはおかしいだろうけどさ。
他人が困ってるのにロングショットならおかしくて笑うってことは、物乞いとか浮浪児とか辻斬りとか見ても他人事であたふたしてたら笑うわけ?
あの物乞い噛みすぎて誰からも恵まれてないプププとかさ、
浮浪児の襟汚すぎワロタとか、
四つ角でいきなり切られて血が噴き出しててウケルンデスケドーとかなんのか?
そしたらフィクションなんかどこまでも他人事なんだから爆笑しかないわな。
そんな単純な話ではないでしょってことですけども。
いや、あの論調は何だったんだろうなって。
他人の不幸は蜜の味ってことと違うんかいな。
『菅原伝授手習鑑』で息子の首を差し出させる松王丸(だっけ)とか、
『伽羅先代萩』で息子に毒味させるのを見て、
うう〜ソースイート!とか興奮するタイプの方もいらっしゃるんでしょうか。
まさかね。
再来年あたりにもっかい同じ舞台で、菊池亜希子様が御出演あそばされるとしても、いかないだろうな。
『ハルナガニ』はまた見たいですが、菊池亜希子様がもっと演技上手になるか、笠智衆みたいなポジションを確立するかに期待します。