読んじゃった
会社の先輩と飲んできたんですよ明日も仕事なのに。
べらべらしゃべりすぎちゃって。
昨日一言も喋ってないもんだからさ。
接客業なんで喋ってはいるんですけどね。
いらっはーい、ちょいとお上がんなさいよー、最近ちっとも顔見せないじゃないのさとか、そういう女郎みたいなことを日がな一日言い続けては日、暮にけるかな。
単に発声するのでは解消されませんやね。
『自殺』に、ホームレスのおじさんがよく喋るって描写があって、筆者が想像するに、だれとも喋ってないからだろうという。
当てはまります!!!
見抜かれてる級。
まるでホームレスのような交友関係。
あるいは私のようなホームレスのおっさん。
ムベナルカナ。
喋りたくて仕方なくて、喋り通してしまった後の自己嫌悪はよくないですね。
オナニーしてスッキリしてるのに罪悪感を意識しちゃう青少年みたいだ。
それが他人に向けた卑屈で自虐ならなおさら。
だからか、死なないかなと今日も思ってました。
死ぬのは怖いから、誰かに轢かれたいような。
そんなこと言ってすうーっとプラットフォームに吸い込まれてったり車道のシャドウになったりして。
自己嫌悪はよくないと知りつつ、そのようにしか認知できないという強力な歪みがあるのは、もしかしたら母に刷り込まれたのかもしれません。
自己嫌悪に至るような認知が現実的なのだということを教わってきたような気がしますので、やはり母の教育は、帰省すると最近言うようになった「育て方を間違ったのかね」が正解であることを支えることになりそうですが、
悪いから言えません。
言って変わるもんでなし。
大谷石の採掘場跡に行った人が自慢してて、
大谷石!あのニックスのネタになってるやつね。あるいはデイリーポータルZの
と言ったあたりで、もうハテナと無視のオンパレードで、口を閉ざしました。
喋るんじゃなかった、言うんじゃなかった、自分から行くんじゃなかったと
後悔の雨霰オン残酷パレードによってケーチラスことならず、
引っ込んで腕立てしときました。
でね、読み終わりましたたった今。
面白かったですよ最終的には。
『自殺』
生きててよかったと思えることがあるから、死なないでねというのは、常套句だけどたしかにそうだよね。
常套句だけどさというところにかなりの力点があります。
寅さんも、生きててよかったなと思えることがあるじゃないか、そのために生きてんじゃないのかと言ってたりする。
真理でもあるような気もするし、一方でもうクリシェになっちゃってる感あるよね。
わかるんだ、生きてて良かったなと大上段に構えたことも思ったことあるよ、うっわ生きてるの楽しいって大げさに思ったりしたけども、それ以外にも中段、下段くらいでも、例えば久しぶりに聴いた鶴の「ソウルメイト今夜」がすげーかっこよかったり、鼻くそが気持ちよく取れたりするのも、大げさじゃないけど、気分悪くなることじゃない。
本に出てきたエピソードで、好きな女の子が洗礼受けたから自分も受けたってとこけっこう良かったです。そうだよなって。
あと、引きこもりの時期に知り合って好きになった女の子にフラレて、外界がその子しかいなかったからもの凄く辛かったってとこ、ビンビンきたね。あ、今そういう状況なんだねって気付きましたゾヨ拙者。
私をふった人がふったくせに会って食事してくれたり雑談してくれたりと拒絶しないのって、暇つぶしがマルチ勧誘かお目こぼしなのかなと思って、惨めになるやら救われる気持ちやら。
「迷ってる人へ」という章の最後から二番目の段落はクリシエに陥らずに、今まで読んできた気持ちが収束してくみたいで泣きそうでした。カタルシス!
『自殺』という題で書いてあることは自殺どまんなかもあれば、全く関係無さそうでこれ何の本だっけと思い出しちゃうときもあったり、死ぬんだ死ぬんだと思いなおさなくちゃならないほどに、夢中になって読んじゃったりして、それが狙いだったのかね。まるで樹海で死にたくている人に話しかける人みたいに。
キリストは精神的な興奮状態にあって夢中だったから性欲を意識する暇がなかったみたいな説は面白い。大学の授業で方舟の話は聞いたことあったけど、ここまで面白いこと書いてる人だと思ってなくて、もっと早く知りたかった。
とかさ、たくさん良かったとこあって、たぶんそのうち読み直します。
一回目に読んでどひゃーと驚いてるところってたいてい二回目の初めて読むみたいに驚いて感動しちゃって、
ああ、せっかくいいこと書いてあるのに何も影響受けてないんだなと悲しくなるまえに、読み直してメモとるなりします。
『オウエンミーニー』に戻るか、読みやすい本を読もうか。
長編小説の最初だから読みにくいのは仕方ないんだけどね。
それとももっと自殺関係の本を読もうか。