殆ど呪い。
大瀧詠一が亡くなったからなのか、けっこうYoutubeに大瀧詠一が出てたラジオがアップされてる。
その中で、北野誠のラジオにゲスト出演した際に「君は天然色」のサビで声が出なかった話をしている。
どこかで、サビのところの音がシュワーっとしてるのは秘密、みたいなことを書いてたけども、2002年には殆どバラしていたのですね。
今日は長嶋有の本を読み終わっていません。
『祝福』を読み始めました。
短篇集。
「丹下」でのなぞなぞはたしか『天才バカボン』からだったと思う。
あんなシドイなぞなぞを書くのは赤塚不二夫くらいだろう。
小沢健二も読んでいた。
読んだけどあんまりぐっとこなかった。
『天才バカボン』にはかなりグッときてました。
たしか小学生のときに一番読んでた。
友達と絵本の話題になった。
絵本を私はあまり読まないで育った。読まれないで、というか。
『オコジョのすむ谷』と『わ〜恐竜だ』しか記憶に無い。
漫画、しかもジョジョを読んで、ジャンプ、そこから『ブラックジャック』『天才バカボン』『王様はロバ』とはまった。
絵本の記憶があまりないのに、私は本ばかり読むようになってしまった。
本との出会いも様々だし、人生もいろいろだ。社長だっていろいろだ。
あんまり読んだ記憶がないので父に聞いてみた。
読んでないね。絵本なんて子供だましだろと父でさえ言う。
保護者がそんな絵本観だから絵本を読んだ記憶がないのだ。
ジョジョはたしか父の趣味でもあった。
私が読み始めたのは第三部からで、スタンドの名前はすべて覚え、さらにスタンドの由来ともなったバンドの曲もだいたい聞いた。
熱心な子供だった。
そのころ我が家で加入していたWOWOWで『あしたのジョー』を放送していた。
あ、『巨人の星』も読んだ。『新・巨人の星』も。新しい方は手がゴツゴツしてるんだ。
血が消えないと真夜中に手を洗い続けるボクサーが一番印象に残っている。
『あしたのジョー』『巨人の星』『天才バカボン』『ブラックジャック』いったいいつの小学生なんだ。
ちゃんと同時代の漫画も読んでいました。『疾風ウルトラ忍法帖』が好きだった。
『火の鳥』はいつ頃読んだのか全く覚えていない。
でも、日本史との記憶ともなんの記憶とも結びついていないことから、小学生だったんだと思う。
六波羅探題という響きが好きだった。
絶妙な連作具合にしびれた。統一がとれてなくて、微妙に絡まっていて。
どきどきした。
『ブラックジャック』『火の鳥』と読んだのに手塚治虫にははまらなかった。
でも伝記を読んだというのは自分の凝り性を示しているかもしれない。
『ミッドナイト』とかいう深夜タクシー運転手が主人公の漫画を少し読んだが、次に続かなかった。
他のもきっと読んだと思うが、夢中になるほどじゃなかったんだろう。
『アドルフに告ぐ』は子供には難しすぎた。というより、読み始めるには自分には知識が足りないだろうと思ってよした。それっきり、今でも読んでいない。
『天才バカボン』は殆ど全巻を揃えたのだけど『おそ松くん』は全く興味が持てなかった。
なんでだろう。
なつかしい。当時の私に聞いてみたい。
『ウリナリ』のモテないブラザーズでビートルズを知って、赤盤青盤を聞いて、そのあと『Anthology1〜3』を聞いた。
デモとライブとアウトテイクの違いには作者の意図があると思った。
これが大間違いだった。
大瀧詠一はプレスリーの曲を、作曲者、作詞者はもちろん、アレンジャーやらプロデューサーやらスタジオやらまですべてチェックしてたという。
すごい。
ジョージ・マーティンがいるのはわかっていたし、『Let It Be』が好きになれないのがフィル・スペクターって人が関わってるからだと解説に書いてあるから知っていた。
でも、サウンドアレンジがここまで印象に影響するものだとは思っていなかった。
名盤と言われる『Imagine』が好きになれなかったのもフィル・スペクターのせいだろう。
聞かなかったけど、『オール・シングス・マスト・パス』もフィル・スペクターだったね。
あのあとはロック少年風に、クラプトンとかクリームとか聴いたり、バスキア関連のを調べたりした。
何の話だっけ。絵本だ。
読んでこなかった。
そうだ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの影響で、フランツ・ファノンやらゲバラやら、グエンザップやら読んだ。
わかんなかったなあ。
頭いいやつはわかるんだろうな。
中学生でフランツ・ファノンとは変なやつだ。
あの頃が一番むずかしいのを読んでたかもしれない。でも、わかんなかったな。
中学生という暇な時間で読んで、それでもわからんのだからしかたないんだな。
だめなやつだ。
ちなみに『きらきらひかる』もわからなかった。
というか、母に「この作品のテーマは何だと思う?」と聞かれたことがあって、それをずっと考え続けてきたんだと思う。
そのために批評やらを読んできたような気がする。
親の言葉って大きいんですね。
殆ど呪い。
良かったんだろうか。
もの知ってるキャラとしてとても高く評価してくれる人が一人いる。
その人にもの知りキャラと思われるのは、母の呪いのおかげか。
人生レベルで後悔しちゃうなんて真夜中だなあ。
いや、生来の怠け者だから、良い方だと思う。
もの知りキャラでさえなかった、ただの怠惰だったかもしれない。
それよりは、少なくとも一人はすごいねって言ってくれるからなあ。
自己分析なんてしたからだ。
ソーロンサムアイクッドクライ。
たしか、これはピンチョンの『ヴァインランド』で知った。
分厚い注のために栞紐がついていた。
河出の全集では脚注になり、関西弁みたいな文体になってた。新潮のピンチョン全集ではどうなったのかしら。
今ググったら、2013年にも新作が出てんのね。
老いてますます盛ん。
佐藤良明さん大忙し。
楽しいことを考えよう。
何かないか。
手紙でも書きましょ。
尊敬する友達が名古屋に転勤になって、人生でたぶんもう会わないと思うからお茶でも行けたらいいなあと思う。
たぶんもう会わないだろうなって人ってたくさんいる。
いちいちそんなことを考えるほどでもない出会いがたくさんある。
仰山ある出会いの中で、ああこの人とは仲良くしてみたいなと下心からか好奇心からか思ったり思われたりして、話したりお茶したりデートしたりする。そして終わる。
「あんなことも話したかった、こんなことも話したかった」という思いから小説が始まるんだとは、川端康成の言葉。
含蓄。
尊敬してるしすごく恩も感じるし感謝もしてるんだけど、どこか信用出来ない。
信用できないけど、まあいいかの、まあいいかに踏み切って自分をさらけ出すには憚られるくらいの信用のならなさ。
女性だから信用できない、というと馬鹿な極端さだけど、そうじゃなくて、女性性というか、女らしいというか、そういう意味での。
もちろんこれは私のモテなさが露呈した女性観でしかないんだけど。
好きですと言って泣かれた思い出がある人はそういないでしょう。
実際いるんだよそういう嫌われ方した人がよお。
そんなひどい扱いは一度しかないんだけど、どこか信用ならんぞと性根の一端を腐らせるには十分な経験でしょう。
あるいは、それを乗り越えるような真っ当な成長をしていないか。
むかし図書館の司書さんが髪型を変えてあんまり素敵だったので話したことなんてないんだけども、素敵ですねと言ってゲロを吐かれたり泣かれたりしなかったけど、やっぱり悪いことしたかなあとも思う気持ちは消えない。
自己分析をしてなんでこんな澱のような嫌な思い出ばかり出てくるんだ。
宿便みたいだ。
楽しいこと、何かあるかしら。
レイモンド・カーヴァーって何が面白いのかよくわからなくて熱心な読者でなかったけど、なんだか『ビギナーズ』が面白く読めそうな気がしている。
もしすごくおもしろかったとして、誰かと共有できたらいいなあと思うんだけど、それが友達がほしいとかいうことなのかしらね。
オカマちゃんみたいな文体。