菊池亜希子さんはとても可愛らしかったです。

『ハルナガニ』を見てきました。

ネタバレあります。

 

これは劇です。舞台。

何故観てきたかというと、菊池亜希子が出てるからです。

モデルで編集長で文筆家という、地主恵介か菊池亜希子かという存在。

役者なのでけいたんではない。役者もやってるかもしれないけども。

とにかく。

菊池亜希子が出てる舞台を見てきました。

ハルナガニというのは、「春永に」というあいさつだそうです。

春奈蟹かと思ってました。それくらい知らずに、とにかく菊池亜希子が出てるから観るという興味でした。

 

内容がこんがらがってて、それを書きたい。

 

家で亡き妻を思い出して嘆いている夫(春生)がひとりで電気を消して歌を歌っていると、息子のアトムが帰ってくる。

「母さんが死んでもう一年が経つのに、いいかげんにしろよ」と、泣く父を撮りネットにあげる(泣く父はネット上で人気があり、ファンがいて、グッズ化までされている)。

そこに買い物袋を下げた母(久里子)が帰ってくる。

アトムは死んだはずの久里子の登場に驚くが、春生には全く見えない。

久里子はアトムと当然のように会話をし、「父さんが死んで、もう一年になるのね」と呟く。

アトムは久里子が帰ってきた驚きを春生に伝え、春生は動揺するが、久里子には春生の存在を伝えない。

マイペースに振る舞う母、惚れた妻にずっと振り回される父、間を取り持とうとするが実を結ぶことができない息子、という親子関係に、「異界との接触」が絡んでいる。

しかも、その設定が『シックス・センス』のように、実は死んでいたのがブルース・ウィリスだったという大ドンデン返しではなく、もしかしたら死んでいるのは父の方かもしれないというアヤフヤなコメディにしている。

アトムも久里子が死んでいることを知っていて。嘆く父がネット上で人気でもあるように、久里子の死は現実であろうはずなのに、久里子があんまりマイペースで息子に振り回されないことで、むしろ父である春生の方が死んでいるのではないかという考えを持ち始める。

いくら接触を試みても春生は久里子に触れることができない。触れずとも、長年連れ添ったこともあり、タイミングや仕草が揃っている。

久里子と春生のお互いが、亡き相手に会いたいと思って前半が終わる。

 

これ、最初は、仲の悪い夫婦が相手を無視してるんだと思った。

映画『ファイトクラブ』であった、ブラピとヘレナ・ボナムの関係に口をだすことをしない主人公の関係性に思えたわけ。

そこで主人公が思い出すのは、自分の仲の悪い両親も、相手がいないようにふるまって、どうしても相手に用事があるときは息子を通して伝えさせたというところ。

仲の悪い夫婦ってそこまでするのかと驚いたもんですが、『ハルナガニ』をみてまずそれを思い出した。

でも、息子は帰ってきた久里子に驚いてたから、幽霊ってことでいいのかもしれない。

 

後半は、仲が悪くてお互いに相手がいないふりをする夫婦のようだった。

翌朝、久里子は春生のぶんも含めて食事を作り、春生は何も言わずにその朝食をとる。その自然さにアトムは驚く。

その部屋に三浦(菊池亜希子)と西沢が二人でやってくる。

三浦は春生にビジネス上の用事があり、西沢は久里子に要件がある。

三浦は春生に仕事でのミスを指摘する。

西沢と久里子は春生の一周忌を記念した旅行をしようという話で盛り上がる。

三浦はお礼にマカロニ焼きに連れてってくれと言う。

ここではなんか春生も久里子もお互い嫉妬してる風に見える。

三浦も西沢も、春生や久里子に話を合わせているが、見えてもいる。

西沢は春生が死んだと言う割に、春生にちょくちょく視線を送る。

春生が返事しやすい話題を提供したりする。

三浦も、春生と久里子に憧れているようなことを話し、西沢も「お前らが付き合うと思ってたよー」という話をする。

そんで、お互い、喧嘩してもなんとかやっていこうと思ったときのことを二人で思い出しておしまい。

 

前半は「どっちが死んでるの?」ってコメディで、

翌朝以降の後半は「いい加減に仲直りしろよ」って夫婦の会話劇、という別な作品であると思えばおかしくないのかと思うんだけど、

なんかしっくり収まらない気もする。

 

菊池亜希子さんはとても可愛らしかったです。

『豆大福ものがたり』でも動く菊池亜希子を見てたのに、今回は生で全身が見られることもあり、「あれ?こんなに細くて背が高いのか!」とうっとりしてしまった。

三浦っていうキャラが「ロシアのことをソ連って呼んでた」と言われるように、若作りしてるって描かれるんだけど、なんか今ひとつ、見ててわかりにくかった。

三浦と春生の関係はなんなの?

春生にはチョコあげないけど息子のアトムにはあげるって、仕事の部下と息子がなんで知り合ってるの?

ランチに行くってのはどのくらいの意味なの?などなど、疑問が尽きない。

 

菊池さん美しかったなあ。

 

三浦と春生の不倫関係を知って、もう春生は死んだということにしようと久里子がおかしくなって、それを春生がムキになって同じことをやり返してる、と理解していいのかしら。原作小説は相手を亡くした夫婦の話が交互に語られるというスタイルらしく、感動するような話しみたいなので、この演劇のわかりにくさは脚本と演出の段階で生まれたものでしょう。

 

夫婦の喧嘩して仲直りするところは、高野文子の漫画で似たようなのがあった。新婚夫婦で、工場の社宅で、仕事を押し付けられて、協力してなんとか徹夜して終わらせて、そのとき牛乳飲みながらビスケットを二人で食べて、ベランダから朝焼けの町を見下ろして、こういうことも忘れていくんだろうかと思うっていうラストシーンのある、タイトル忘れたけども、そういう作品。

あと『ハルナガニ』の主題であろう「何でいるの?」という冒頭の言葉。「会いたいなあ」と言いつつもなんだか積極的でない二人のように見えた。相手に合わせて自分がなくなってしまった結果、二人は相手がいなくなったのではなく、自分の方からいなくなってしまったとも考えられる。