観客は役者を見に来てるんであって、物語に惹かれてるわけじゃない。
映画を見ました。
『ブリキの太鼓』です。
ドイツ映画で、ノーベル賞受賞作家のギュンター・グラスによる原作。
しかも、ギュンター・グラスが脚本も書いてるという。
あらすじは、
第一次世界大戦後、ダンツィヒで生まれたオスカルは3歳で成長するのをやめて、
第二次世界大戦が終わるまでブリキの太鼓を叩きながら生き残って、
父の埋葬に際して「成長しよう!」と自ら成長を始めて終わる、というもの。
冒頭のスカート内のシーンや声でのガラス割りが有名ですが、
馬の首から鰻がどばどばと出てくるシーンにグッときました。
シュールなんだけどちゃんと気持ち悪くてとても良かった。
主人公オスカルが成長を止めるのは、母親の浮気を目撃したから。
でも浮気相手は実の父かもしれない母のいとこヤンで、
戸籍上の父をオスカルは嫌い続ける。
それはヤンがポーランド人(厳密にはカシュバイ人)で、
戸籍上の父はナチスに忠誠を誓うから、という民族意識に倫理的な理由なんだけども、
なんだか不当に戸籍上の父が嫌われてるような気がしました。
というか、
なんだったんだこの映画は!という感想でした。
原作もそうなんだけど、
めちゃくちゃ。
原作の説明のとこに、「猥雑のビートが響く!」みたいなことが書いてあったけど、
ホントです。
猥褻で、不統一。
(これ、訳の不備なんじゃねえの?)ってしばしば思うほどに、分かりにくい。
よくこれで通したねって驚く。
これは分かりにくいですよ。
それが、戦後ドイツを代表する作品なんだから、文学ってのはわかんねえなあと思う。
わかんねえと言えば、『雪国』を読んだんですよ。
ざっくり言うと、
親の金で暮らしてる妻子持ちの男が新潟の宿で芸者といい仲になりつつも、
そこの若い女が気になりながら3年くらい通ってて、
火事を見に行ったらその若い女が焼けてる家から落ちてきておしまい、っていう話。
不思議でしたね。
このまとまりの無さはなんなのか。
なぜこの小説の評価が高いのか。
川端康成の自作解説みたいなのの中では、
この雪国というのは「異界」であるらしいんだけど、
そういうテーマみたいなのがわからなかった。
テーマ風のスケッチ集って感じでした。
習作と言っていいかもしれない。
そうそう、ソールベローの『この日をつかめ』も読んだんですけどね、これもよくわからなかった。
昔は役者志望で、営業の仕事を上司と喧嘩して辞めた妻子持ちの男が、
父親と同じホテルに暮らしてて、金の無心をするんだけど断られて、
そろそろ貯金がなくなるからって知り合いの投機話に乗っかって損するって話。
これも、だからなんなの!?でしたね。
ハッピーエンドにせいとか言うんじゃないんですよ。
途中でぶんなげられちゃったなーと思いました。
巻末の解説によれば、主題は人間存在なんですよ。
わかんないわー。
何かもう一冊最近読んだ気がするんだけど、思い出せない。
いずれにせよ、難しかった。
急いで読んだから題も思い出せないんだろうか。
とにかく、『ブリキの太鼓』はエログロでしたわ。
久しぶりに観た映画。
何故観たのかと人問わば、原作を読んでるからです。
ずっと家にあって、たぶんこれを逃したらもう読まないんじゃないかと思って。
で、
先にあらすじを知っとけば、読みやすいかなと。
あらすじを知っとけば分かりやすいという目的のために、
間男が嫁さん恋しさに旦那を殺す話です。
原作にはない「うわばみ三次」という役に驚きました。
しかし!筋はどうでもよかった。
なぜなら、勘九郎がかっこ良くて、早替りが見事だったから。
ほとんどそれだけの芝居でした。
ストーリーなんてあって無いようなもの。
観客は役者を見に来てるんであって、物語に惹かれてるわけじゃない。
かっこよかったですわよー。