相槌から、意見のようなものまで。

盆に帰ったときに、首相の靖国参拝云々について中国がメッセージをどうのこうのというニュースをやってて、

じいちゃんが「A級戦犯なんて祀ってるからだ。あれだけ出しておけばいいんだ」と言って、

その意見に対してわたしが、

「戦犯ということは戦勝国が決めたことで、戦犯かどうかは戦勝国戦勝国の論理で決めたもので、

更にA級とかの等級も戦勝国が作ったもので、

戦犯かどうかやその度合も日本が決めたものでなくて、

さらに祀るかどうかも他国に決められてていいのか。

それにA級戦犯を仮に外したら次はB級、C級と広がって、

そのうち戦死した人を神だとして祀るなんて云々にまでイチャモンをつけてきたら言われるままにするのか。

そんな言う通りにしてたら、そのうち靴紐まで結ばされてしまう。」

と言って、

たぶん産経新聞を読んでた父の影響だったのかなあと思った。

そういう父は産経新聞を読むのをやめたので、今はそういうことは言わなくなった。

わたしがそういう事を言ったのは、祖父の意見があんまりにも短絡的だと思ったからだった。

とはいえ、TVのニュースを見てるとそういうことを言いたくなるというのはとてもよくわかる。

いっちょかみというか、何か言いたくなってくる。

昔泊めてもらった先輩が、CMに合わせてキャッチフレーズを言ったり、MCに相槌を打ったりしてた。

まるでTVと会話してるかのように。

「なんだろね。何か言いたくなるんだよねー」と言ってた。

たぶんTVには人に喋らせる力があるんではなかろうか。

相槌から、意見のようなものまで。

特に政治なんかは文句を付けやすい。

選択肢があって、その中から決断をしたことがわかるからで、

そうなると逆を言えば意見を言ったような気にしてくれる。

馬鹿野郎、こうしろみたいな。

聞いてさえいれば考えなくても言えるという点でとても相槌に似ている。

TVのニュースを見てて政治に対して何か言うことは、だいたいこんなもんだと思う。

少なくともわたしが見てきたのはそうだった。