ひでえ話だった。

『菅原伝授手習鑑』の「寺子屋」の段を見ました。

と言っても舞台ではなく動画で。

 

今月の歌舞伎座「十月大歌舞伎」の夜の部でやるから、どんな話かいなと見てみたんですが、

ひでえはなしだ。

 

暗い面持ちで帰宅する源蔵、彼は菅丞相の息子菅秀才の首を春藤玄蕃に差し出さねばならなかった。だが、秀才の首を渡すつもりはなく、問題は身代わりに誰を選ぶかであった。ちょうどその日に寺子屋に入った子が利発な顔であったために、その子の首をはねて差し出すことに決めた。玄蕃は騙され帰っていく。そこへ、少年の母が迎えにやってくる。源蔵は仕方無しに母も殺そうとするが、果たせず、さらに玄蕃の連れであったはずの松王丸が戻ってくる。実は松王丸は犠牲になった少年の父であった。松王丸は菅丞相の家来であり、主君への忠義を通すため、身代わりにわが子を殺させようと寺子屋にいれたと打ち明ける。首をはねられるとき、子は笑ったと源蔵は伝える。もつべきものはわが子じゃと言って泣く。

おしまい。

 

子供の首をはねたって出してきてどん引きでした。

しかも松王丸の子かよと知ってダブルどん引き。

漢文の授業で読んだ、三世代家族が食うに困って生まれたばかりの子を土に埋めようとしたら、掘った穴から金銀が出てきてメデタシって話を思い出した。それは儒教思想で、年上が偉いために年下だから子供は殺しても良いって内容でした。年寄りを守るためならば子供は殺していいんだというオチが、天罰ではなくて褒賞というところに気味の悪さを覚えました。姥捨て山とは発想が真逆よね。童話だったら亀の甲より年の功って形で迎え入れられるけども、『楢山節考』ではもっと功利的で、生産の落ちたジジババは無駄飯食いだからそっと死んでもらうという。そりゃあ、年寄りばかり大事にして若者を殺してたらそりゃあ遅かれ早かれ潰れますわな。しかし、そんなことはやれもか信心で解決という素晴らしい無理。

そんな無理で、どうやら感動するように作ってあるのがこの「寺子屋」の段だそうです。「少年かわいそう」って泣くんでしょうか、「忠義はつらいよな」って泣くんでしょうか。わかりませんでした。

しかし、役者はかっこ良かったです。

『鰯売戀曳網』はストーリーも軽快で、誰も死なず、役者もかっこ良かったです。あと『たぬき』もよかったなあ。こちらはどちらも現代作家が書いたもので、と言っても二人とも死んでますが、謂わば時代劇。伝統という権威化したとはいえ歴史はある歌舞伎の演目である古典に数えられるものとはやはり見やすさや面白さの種類が違いますね。

歌舞伎の筋って面白いんでしょうか。『双蝶々曲輪日記』だって、有名である「角力場」とか「引き窓」って、そんな大した話か?と疑問です。良さがわかるようになるにはどうしたらいいんでしょうかね。

桜姫東文章』も、獣姦とかホモ心中とか量子物理学とか出てくる、宛ら江戸時代の『重力の虹』と言われるとんでもねえ話らしいんですが、今までの感じからすると、色々詰まってて話は豪華絢爛突飛派手なんだけども(だからどうした?)というような内容なのではなかろうかと邪推してしまいます。(ここでこの話は必要か?)というような。たぶんつまんないんだろうなと思いながら、面白いといいなと期待して読むのは、よくドタキャンする好きな人とのデートの直前の気分を思い出させます。

まあそんなに世の中おもしろいものばかりでも大変だろうし、つまんない物を数観るからこそ、面白いかどうかってことも分かるんじゃないかしらと奮起させてどうする。

この「寺子屋」の段を天皇制とともに論じてる本がありますが、ちょこっと興味のあるところです。というのも、天皇が話の中に出てこないから。大義のために死ねってストーリーが戦争時のイデオロギーに云々なんでしょうかしら。

 

こないだ行った寄席もおもしろくありませんでした。腹を立てることもあった。甲子園のテーマ曲を列挙して、スーパーフライの曲のタイトルが英語でそれについて「そんなに英語が好きなら外国にいけ!」と冗談を言ったとき。てめえは名前が全部漢字なうえに読みまで音読みでやがる分際で、そんなに漢字が好きなら日本から出ていけ!てめえの大好きな漢字の生まれた国である中国で残り少なく野垂れ死にしろ!と言いたくなってしまいました。スーパーフライは好きじゃねえけどもよ、英語を題に使ったくらいでよくそんな頭と考えの足りねえことを高座から言えるなと。よくもまあ日本で発明された文字でもなけりゃあ日本古来の音でもない名前してけつかりやがる死にぞこないのクソジジイのくせして、ひとさまのことは偉そうに言ってられるのな。

洒落だってのはわかってんですよ、ただ腹たっちゃったのよね。

英語由来の言葉を敵性語とする割に、敵国であった中国由来の文字である漢字を羅列することで権威化した文章を並べ立ててた大東亜戦争中のマスコミだか軍部だか政府にも、同じ文句はありますよね。せめてひらがなかカタカナだけじゃないと、敵性語って考えに反するだろうと。すべて大和言葉で済ませと。そこまで徹底してはじめて「そんなに英語が好きなら外国にいけ」と言う権利があるんだろうと。てめえは漢字使っといて何が敵性語だと。てめえの名前だって漢字がなけりゃ書くどころか読むことだってできねえじゃねえかと。冗談だってはわかってんすけどね。

別にアメリカ人に恩義があるとか、中国人が嫌いだとか言ってるんじゃないんですよ。半端なことを言ってるから嫌なんですよね。冗談としてのクオリティが低いからってのもあるとは思います。さすがに今更、英語の題だからって、ねえ。さらに言うならヨーロッパで発明された音階で作られた曲を歌ってるてめえの半端さはどうなんだとも問いたい。小唄や端唄を歌わずに「カチューシャの歌」なんて歌いやがって、そんなにトルストイが好きならロシアにいっちまえ!

と怒るのが野暮なんでしょうね。この冗談が粋でなくとも。