友人の話はいつも恋愛ばかりで、
友人の話はいつも恋愛ばかりで、
しかも女の子の名前を唱えるだけ。
会話の相槌で、咳で、句読点で女の子の名前を声に出す。
題目や現実逃避や強迫観念のように離れない。
観劇中、瞬間的に眠るときも夢に見ると言い、それも芝居の演出だと嘯く。
好きだった人はそれが誠実さでもあるように殆ど偽悪的に貶し、
しかし悪口も興が乗ると甘い思い出が現実化したように名前を唱え出す。
そんな友人に初の出来事。
二人の女性の名前を唱え出した。
Aの名前を繰り返し、Bの名前を唱え始めるとAを腐し始め、
Bの名前だけを唱えるようになるのだけれどゼンマイが切れるように勢いが弱まり、
またポツリとAの名前を自発的に口にすると恍惚の表情に戻る。
移行期の彼を初めて見た。
レトリックやリズムの工夫はなく、表現は殆ど同じで、
激情は回数となって現れる。
おかげで、彼の女の子たちの名前や出身地、どんな食べ物が好きで、どんなことをして彼と遊んだかを覚えてしまっている。
どんな知り合い方をして、何がきっかけで仲良くなり、どちらから誘い、付き合い始めたのがいつか、デートでどこに行き、いくつ癖があり、何を語り合って、別れた理由が何だったのかを、名前の一部を耳にすれば最後まで思い出してしまう。
彼は恋の話しかしない。
それが彼のプロレスであるかもしれないことに今日気づかされた。
「楽しい」or「楽しくない」ならこの状態は「楽しくない」だと言われた。
それだけ唱えられる信仰があることに驚いていたけれど、
本人は「楽しくしている」んだと言う。高杉晋作か。
そして彼はとても自信がある。
好きな女の子の似顔絵を、名画と同等であるかのように見せる。
どこに着目し、如何に見とれ、どのように再現したかを名前を繰り返す合間に説明する。
あまりの自信に似ているように見えてくるから不思議だ。
人の話を聞いていると、地面に掘った穴のような気がしてくる。
任意の地面の任意の大きさ深さ幅で、ザクっと掘ってバーっと話してさっと埋めたり埋めなかったり。
王様の耳はロバの耳と言われるあの穴のような気がしてくる。