君が代の解釈で胡散臭いものを見つけました。

君が代の解釈で胡散臭いものを見つけました。

何が胡散臭いかというと、古事記日本書紀にある神話にやたらと結びつけている点です。

 

君が代の「きみ」とは、

イザナギのキとイザナミのミを合わせているんだという説が提示されてますが、

神話に出てくる神を指しているという主張に違和感があります。

イザナとは誘うの意味で、

キは男性を指し、ミは女性を指します。

これが一般的な用法であることは、

翁(おきな)や嫗(おみな)という呼び方からも、

キが男性を指す言葉で、ミが女性を指す言葉であることはわかると思います。

ですので、

君(きみ)=イザナギイザナミという解釈はかなり強引だと思います。

ちなみに君の語源がキ(男)+ミ(女)であるということも、疑わしいのではないかなと思います。

大王(オオキミ)という呼び方がありますが、これは「大きな男女」という意味ではないので、キミ=男女というのはまたしても無理やりではないかと思います。

なので、君が代で示されている「きみ」はイザナギイザナミでもなければ、成長した男女を指しているともちょっと考えにくいのではないでしょうか。

 

またイザナギイザナミが先ず産んだのは国土でして、いわゆる「国生み」ってやつで、

国を産んでそれがそのまま日本人を産んだという理解は些か性急すぎるのではないかと思います。

国生みのあとにいろんな神祇を産んでて、そのたくさん産んでるなかで「庶民」とか「一般人」とかに相当する存在を産んでるかというと、そうでもないんじゃなかったっけなあ。

国土を生み、神々を生んだ後で、国土にいつの間にかいるように書かれてたのが所謂庶民の扱いだったと思います。

湧いて出たというと言い方が悪そうだけど、国や神のついでのように生まれてきてたと思います。

なので日本人は神の子という表現は怪しいと思います。

神の子であろうとなかろうと、素晴らしかったり素晴らしくなかったりするので、

強引な解釈のままに無理やり賞賛するのはいかがなものでしょうか。

 

また、「苔のむすまで」の中の「むす」をタカミムスヒのムスであるとして、

またしても神を歌の中に読み込んでいるような解釈がありましたが、

タカミムスヒのムス自体が「生む」という意味なので、

この歌詞の中に神が読み込まれているのではなくて、

神の名前に「生む」という意味が付けられていると考えたほうが自然だと思います。

イザナギイザナミが今の言葉でいうと誘い男誘い女になるように、

昔の言葉なんだから固有名詞か一般的な言葉かを見分けることが必要だと思います。

また、生すの意味が繁栄を指していると言いながら、説明の際にしれっと仏教的な「無常」感を持ち出しているあたりに、神道の思想的な薄さが見え隠れしているように思われます。

日本人は神の子という強引な解釈によるこけおどしと、

古事記等の神話を持ち出しながらの仏教思想の盗用は、

かえって神道を貶める結果になってはいないでしょうか。

まあ、スピリチュアル系の痛い解釈だなと読み飛ばす人が殆どで、

誰も真剣に受け取ることはないでしょうから、

目くじらを立てることもないんでしょうけど。

神の子と言われなくったって素晴らしい人は素晴らしいし、

同じ国土で違う文化圏のアイヌとか琉球は神の子ってことになるのかならないのかとか、

仮に神の子じゃないとしたら問題あるのかとか、

団結しようって何を中心にだよとか、

大昔に書かれた詩を当時の語釈や文脈や書いた個人の思想や文学状況やなんかやかを全く無視して、

現在の感性から読み解いて何か意味があるとしたら、

国歌を乱りに解釈して神話に結びつけようとしたことがあったってくらいの価値しかないんじゃないすかね。

日本人は神の子っていうのはさ、

縄文系とか弥生系とかさ、あと渡来人とかあるじゃん、たぶん人種的に違う血の混ざったりする機会はどう捉えるわけかね。

仏教を有難がって鎮護のために使ってたりしたことは神の子ってことを否定してたってことになるんですかねそういう解釈をしてる人たちの中では。

あと神の子ったってさ、キリスト教的な神と神道的な神では全くあり方が違うよね。

キリストみたいな神の子とはさ、同じ「神の子」って表現でもあり方は全く違うよね。

全然関係ないけど、『アドルフに告ぐ』を読んでて気になったのが、

ユダヤ人という「人種」の問題にしてるはずなのに、キリスト教に改宗すればユダヤ人と見做さないってあれおかしくないか。

思想信条で変わるタイプの「人種」の定義をしてたってことですかね。

いや別に、話を厳密にして差別対象を明確にしようってことじゃないんです。

お題目ではそう言っててもやってることは正直じゃねえかって呆れるような不思議なだけです。

だから古事記とか日本書紀とかをよく読んで庶民とか一般人を生んだって記述があったとしてさらにそれは血が混じっても自分は日本人と思えば神の子となるってのが理路整然と矛盾なく解釈も妥当だったりしたら、文句は付けないけども、

結果に価値観が混じってるようならやっぱり怪しいよね。

君が代の説明は学術論文でなくて神道プロパガンダなので別にどう書いてあってもいいんですが、

神道ナショナリズムとかこじつけとかで語られるのは悲しいです。