ヒトラーとの共通点
高校生の最初の授業だけ、意識が高くて先生に毎回質問しようとしてました。
今でも覚えてるのが世界史の授業で、先史時代くらいのところだったか、
ある居住跡が見つかったが人種は不明というものがあって、
どういうことかというと、アジア人、白人、黒人等の様々な人種が集まってたかららしい。
なぜ人種がわかったのかと聞いたら、
やっぱり骨から多少は違いがあるんですと。
それを、ハフィントンポストの、骸骨の記事を読んで思い出した。
多様性を認めて、愛のもとに団結しよう、一皮むけば一緒だ、という主張があったんですと。
この前街を歩いてたらインド人ぽい家族が観光してた。
見た目は濃い顔のアジア人なんだけど、色が違うのよ。
濃い赤茶色というか、初めて見る人の色でした。
ああ、カラードって言うんだったよな。
黒とか白とかアジアじゃなくて、ホントに色付きに見えるなと衝撃でした。
初めてナマで黒人を見たときもその黒さに驚きました。
白人の女の子の顔の小ささにも驚いたし、
いまだに肌の白い日本人にもちょっとびっくりします。
人の太り方に驚くこともあれば、めちゃくちゃ足の細い女の人もいますよね。
ホームレスの男性を見てもびっくりするし、人前で平気で屁をぶっこいてるおっさんがいると振り返りそうになります。
何かの歌番組で、人類はひとつの家族だ仲良くしようみたいな歌詞があって、
家族じゃなければ仲良くできないのかよとかひねくれてしまいました。
骸骨も男女で違うというのは伊丹十三のエッセイ読者なら、肋骨の彎曲の違いでご存知のはず。
黒人の聖歌隊の歌がうまいのは、体幹だか腹筋だかで黒人に特に発達してる筋肉があって声量が云々というのをTV番組で見ました。
身体のつくりからけっこう違うんだよね。
「国語」の定義として面白いのが「軍隊を持った方言」というのがありましたが、
なんでかってえと、言語はどんどん変化していくもので、
青森と鹿児島ではだいぶ言葉が違いますが、
通じるようにするには通じる言葉を喋らせねばならんのです。
強制力を持った方言が共通する言語に選ばれるわけですよ。
それで、同じ言葉の通じる同じ国民というイメージができるわけで、
でも実際は使っている言葉は世代、階級、地域、読書量その他いろいろの条件で変わってきますが、
それは無視して「同じ」と思えてしまうのがイメージの怖いところ、便利なところ。
骸骨で、一皮むけば同じと思えるのも、骸骨をよく知らないから。
問題は、同じだから仲良くしようじゃねえだろってこと。
違ってることを見えないようにするのはどうなんだと。
違ってるからとか、一皮むけば同じだと嘘つくとか、どのみち見た目の問題なわけかと。
じゃ足が一本ないとか片手の指が6本あるとかはこういうイベント出してもらえるのかね。
見世物小屋に出る人で、そういう形でしか稼げないという不条理があったというのも、強引だろうけど思い出しちゃう。
普通の職場で敬遠されるためであって、そのような形でしか稼げないという環境を作られてしまってるからであって、そのような能力かというのとは別なんだけどさ。
ややこしいので戻ると、
多様性を掲げていなら共通性を打ち出してくるって、違和感がありますということ。
合意形成にするには共通する部分を探っていくしかないんだろうけどさ、
違ってても認めるわけにはいかんのかね。
だって女同士がキッスしてても他人なんだったら勝手にしてりゃいいじゃねえか。
自分の親類だったら恋愛ってだけじゃなくて、家を残す云々が関わってくるからケースバイケースにしても。
骸骨が一緒ってえんなら、ヒトラーとも同じですよ。
遺伝子レベルならチンパンジーと人間はかなり共通してるんだっけか。
だからどうした。
同じ所を見つけて他者を認めていこうという運動なんでしょうけどね。
同じ所が見つけられなくてもいいじゃないのとはならんのですね。
ハフィントンポストで紹介されてて素晴らしいと思ったのは、
あの黒と青のドレスを使った虐待防止キャンペーンのポスター。
あのドレスの白と金のものを着たモデルが痣だらけで、
「どうして痣が見えないの?」というコピーがついてる。
痣は英語ではblack and blueなので、こういう洒落ができる。
唸りましたねこれは。