二度寝で丁

久しぶりにカウンセリングに行ったんですけど、

難しかった。

うまくいかなかった。

いま拗らしてる。

自転車でまっすぐ進んでいるのに車体が傾いているような気がする。

 

たまに朝起きると、いつも半の目で起きているのに丁の目が出たような気分のときがあって、

調子が違う。

どこか痛いわけではないし熱があるわけでもない。

頭の奥のスイッチがオフになってるような感じ。

これはマズイ、と思って二度寝すると直るときもあるし、

二度寝したせいで丁で起きてしまうこともある。

今日は二度寝で丁で、そのせいでか全くカウンセリングが効かなかった。

自分で話しながら嘘をついてるような気がして、

その話すことの白々しさに呆れられてる気がしてならず、

そのために結論を急いでしまって、

となると答えが出てるならカウンセリングがいらねえじゃねえかという空気になってくる。

答えを急いだせいでカウンセラーの言葉を先どってしまって気まずくなると、

さあ次の話題だと次の白々しさに悪循環。

書くことも言うことも全部言いたいことじゃないような気がしてきて、

打ち明けたかったことがあるような気がするんだけどそれは霧のように私の周りにあって摑むことができない。

考えていったことが「それは考え過ぎだがね」とだけ片付けられたからかしら。

トレーシングペーパーでなぞってるのにあちらに合わせればこちらが合わずという、

なぞってる間は揃ってるのに重ねてみると全体として縮んでるところもあれば伸びてるとこもあって、

明言するほどの間違いでもないので、大体でと片付けられている。

どこかの段階で間違ったには違いないけどその検証ができないで、

騒ぐほどじゃないサイズの確実な間違いだけ残っている。

 

好きな尊敬する人へのメールが、

一時は毎日送って迷惑メールと化してたのに、

今度は書けなくなりました。

書いて消し書いて消ししてます。

これは書いたものの出来不出来ではなくて、気分によるものだと思います。

気持よく書けたかどうかで判断するなんて、なんだか本当に迷惑メールだぞとか、

そこまで考えることないんじゃないのと、そんなことにも気づかないのかよの間でヴァしレーションして気持ち悪うなってます。

気分が塞いでいないときには、何かしら生活でのことを話にできますが、

落ち込むと日記も書けませんね。

書くことが嘘に見えて仕方ない。

いくら書いてもどうでもいいことに見える。

どうしてだろう。

何か重要なことに目を背けたまま、些細な事をさも重要な問題でもあるかのようにでっち上げているのを、

身体が気づいているからかしら。

そうかも知れない。

言ってることが言う必要のないことと感づいていながら、解決をごまかしてるのかもしれない。

例えばトラウマとかがあって、見えなくなってるとか。

 

ハマることが楽しいのは「そもそも」というややこしいことを考えなくていいからかもしれない。

空前の小松菜奈ブームが個人的に到来してますが、

これはただ可愛いからということでもなくて、

集めるという単純な行為に身や時間やお金を浸すのが、分かりやすいからかもしれません。

しなければならないことは自分の裁量でできることは少ないけれど、

余計なことは全て判断できる、と思ってるからでしょうか。

集めることで自分での裁量じゃなくて物に支配されてるような気もしますが、

自由を捧げる楽しさなんですかね。

自由の刑から、小松菜奈の刑へ。

正社員になりたくないのもそれだ。

辞めたい。

辞めたい。

辞めたくていますよ。

仕事が辛いんじゃないので、辞めたいという理由が辞めたいからでしかなくて、

ただただ辞めたい。

辞めたいね。

泣き言とか弱音が言いたいだけか。

辞めたいなあ。

辞めたい。