『車輪の下』を読みました。

車輪の下』を読みました。

最初は面白くなかったんですが、後半はナイス。

 

ど田舎で暮らす利発なハンス少年は、校長先生はじめ牧師、父、靴屋の親父などなど皆から可愛がられ、上級学校への州試験に合格すべく村中の期待を一身に背負わされていた。趣味である釣りを禁じ時間の全てを勉強に捧げた結果、進学は出来たが寮での友人たちとの刺激溢れる暮らしの中でハンスは次第に神経を病むようになっていた。学校を去り田舎に帰ったハンスはある女性に出会い、初めて恋の喜びを知り失恋の苦しさに悶える一方で、人生での挫折の惨めさを抱えつつも友人がいる職場で徒弟として働き始める。初めての休日には徒弟仲間と飲みに出かけ、酔いつぶれながらも一人で帰宅するが、翌日、ハンスの溺死体が発見される。

 

あらすじって難しいですね。

ウィキペディアの要約の上手いこと。

 

寮生活までは退屈な話でしたが、退学が決まってからの帰りの道以降は面白かったです。

人に会わずに家でじっとしてる鬱々とした状況は、前の仕事を辞めて(これでよかったのか)と悶々としていた自分に読ませたい。

共感できるかできないかのモノサシしか無いのかと反省。

結局のところヤケ酒あおって(おそらく急性アルコール中毒からの)溺死なので、見習うところは無いのですが、

そう、言いたかった気持ちはこれだ!と言語化してあって、きっといくらかは救われた気持ちになったんじゃないだろうか。

仕事を辞めて読む本として選んだのが、菊池亜希子の主演した古本屋の話なんだけど、

それは同僚の恋人に二股されたショックで辞めて、

古本屋で働くうちに「自分のモノサシで物の価値を決める」という経験をして恢復する話なんですけど、

求めてるのはこれじゃなかったので、不満足でした。

やはり名作。『車輪の下』は少年少女だけの必読書にしておくには勿体ない。

古典は違いますな。

 

でもさ、ハンスは偉いよ。

出来がいいってことで「お前はエリートになるんだ!」と養成ギブスをつけられて、壁の穴からちょっと早くボールが戻ってきたからって川上哲治が家の外にいる!って気づきながらも歓待はしなかったりしながら、自分がどこの球団に入りたいかなんて選択肢を与えられず期待と可愛がりでぎゅうぎゅうに押し込まれて、無理を続けて挫折しちゃうのにさ(バッターになってからはまた別)、

「お前らが悪いんだ!俺をこんなふうにしやがって!」と責任を転嫁せずに(悪いのは自分だ、全部無駄にしてしまった、惨めだ)とそっちまで背負い込もうとしてるのは立派。

だからこそ誰かが、まあまあ人生長いよ、釣りのが好きなら釣りしてく生き方だってあるさ、向き不向きよお。みたいな、

母親とは腹違いのおじさん的なことをドジョウでもつつきながら言ってくれたりしたら、

まだハンスも死なないで済んだのかな。

子供だってのに、期待するだけ応援するだけで、フォローしてやろうってのはなかったし、人生に別な可能性だってあるんだぞというようなアドバイスもなくて、

この線路を降りたら全ての時間が魔法みたいに見えるかなんて考えることもできない。

あれじゃたしかにヤケ酒になるわいな。

 

ヘッセの自伝的小説と必ず言われるけどもヘッセの人生と違うところは、

ハンスは何になりたいとかが無いままに取り返しがつかない(と早合点してしまうような)挫折をしたところだと思う。

ヘッセ自身は「噺家以外にはなりたくない」という人だったらしく、

大きい挫折の後の勤め先である書店をすぐに辞める度胸があった。

まあでも結局はその後に色んな職を転々とするらしいので、別に書店を辞めなくても良かったのではと思ってしまうけれど、

たぶん(別にここで働くのは全然苦じゃないし、活躍できる環境でもあるけど、雇用形態は騙されてたし動機は上がらないし、このままいたら噺家になれずに死んでしまう!)と恐怖を抱いたんじゃないかしらん。

でもヘッセはその短い勤務期間のなかで、仕事は全くつまらないけど多少は趣味に活かせるし、たまにデートできればむちゃくちゃに楽しくて幸せだし、このまま働いて社員になったら経済的に問題無いし、うまくいけば結婚できるかもしれないんだよなあ、そりゃあ噺家で結婚してる人だって、前座なのに同棲してる人だっているけどさ、やっぱり可能性はグッと下がるよなあ、周りの反対を押し切ってとかスゲえよなあ、それぐらいの覚悟がなくちゃやってけないよな、と悩んだかもしれない。

そこで書店を辞めて噺家になる道しか残さなかったヘッセはやっぱりすごい。

 

ツイッターで見た意見で、

人の意見に流されるという人は、考えてばかりいて行動してない人だ、というのがありました。

考えというのは一般的に他からもの凄く影響を受けるものだけれど、

行動や結果というのはシビアでシンプルなのではっきりしている。

意見に流されてばかりいるというのは行動せず結果にしていないで、考えてばかりいるからだ。というもの。

たしかにな、と納得して(そうだ、行動だ結果だ)と思いながら古本屋で見た安岡章太郎論に、「母親への義理で授業に出て、テストへの義理で問題を読み、友達への義理で白紙で提出する」というシーンが引用されてて、

ここまで影響されたら大したもんだと唸りました。

安岡章太郎の小説の主人公ほどに流されればむしろ楽かもしれませんが、

私は考えてばかりいるハムレットタイプ(でも発想はドン・キホーテ)なので、参っちゃいます。

ハンスはドンキホーテ型でもハムレット型でもなくて、自発の理想そのものがなさそう。

しいて言うなら、休みの日に釣りができてエンマと暮らしていければいいのかもしれない。

たぶん彼の住んでるあたりではそんな生活は珍しくなかったんじゃないでしょうか。

頭が良かったばっかりに大変な目にあってしまったハンス、

じゃなくて、才能に恵まれたが周りの人に恵まれず、挫折から自分で立ち直れなかったハンス。

もう苦しまなくていいじゃないかという反面、(もっと苦しいこともあるにせよ)楽しいことも経験できたろうにとも思わなくもない。

ペッティングもセックスもしないで死んだハンス。

一目惚れした女の子から心を吸いだされるような激しいキスをされたハンス。

いきなり父親の宮戸川の場面に変わるのがニクいですよね。

自殺なのか事故なのか判然としないのもいろいろと考えてしまいますが、

酩酊状態で殆ど判断もままならないんなら、自殺も事故もあんまり変わらないからはっきり書かれてないんですかね。

罪と罰』で「冷静な頭で自殺するんだ」と言って自殺する人がいて、

(自殺するようなやつがまともか?)と不思議でしたが、

向こう岸から言わせれば、そんな世の中で生きてる奴がまともか?でしょうね。

 

「傲慢」が人格障害らしいです。

経営者や政治家等、指導的立場にある人が傲慢だと判断を誤り大損害を与えるので、

傲慢は人格障害ということになって研究されてるみたいですが、

じゃあ徳のある人がトップに立てっていう徳治主義を裏付けることになって、

ゆくゆくは儒教VSキリスト教みたいな宗教戦争になったりは、しないでしょうけど、

人格障害のデパートかよ。

人格障害じゃない人はどんな性格なんですかね。いるんですかね。

否定形でしか語れなそう。

無神論者と人格健常者は人間じゃない、みたいな世の中になりそう。

庶民からすれば度を越した傲慢だから人格障害って言われるんでしょうね。

ハンスは落ち込み方が人格障害級だったかというと、そこまでじゃなかったかもしれない。

人格障害じゃなくてもヤケにはなるし、大酒だって飲む。意外と簡単に人は死ぬ。

 

挫折経験者としてハンスに言葉をかけるとしたら、

挫折しても生きてられるし、校長先生も牧師も誰も君のことは、結局は他人の人生だからそれほど気にしてない。エリート学校に進んで就職できても幸せになれるとは限らない。他人の願望が満たされて他人の期待に応えられたという満足はあるだろうけど、それ以上は分からない。勿論、いい学校を出ていいところで働けば、君の村からすると考えられないくらいの給料がもらえるし、経歴から名誉欲も満たされる。お金があれば女性がたくさん寄ってくる、名誉があればそれにふさわしい人との社交ができる。それは楽しいかもしれないけども、ハンスくん、それが君の望むもの?

とか言ったら「挫折って大変なんですね」と逆に慰められそう。

オチになってしまった。

 

カメラ屋に行くと、接客の際にまあたくさん物をすすめられるんですが、

それが上手いのね。

バイトでいつも接客に関してクソミソに言われるので、カメラ屋の店員さんの乗せ上手に感動してしまいました。

楽しそうに喋るのね。

もう、好きで楽しくて仕方ないでいっぱいの風呂に勢いよくつかってざぶーんと愛情と楽しさが溢れ出てきたみたいで押し流されそうで、

なんだかそれを使ったらまるで同じように幸せな気持ちになれるかのような気がしてくるわけです。

すごかったです。

こう喋らなあかんのかと。

この場合はこう、こっちの良さはこう、と具体的で分かりやすく、かつ興奮気味に。

楽しいことが待ってます!という感じ。

マルチの集会でボスみたいなのが言ってた「物を売るんじゃない。情報を伝えるだけで良い。商品の良さを教えるだけでみんな買う」ってことのとても上手な実践でした。

あれは乗せられちゃう。

お金がないから買えませんでしたが、かなり「買う物リスト」に食い込まされました。

やるなあ。

買う気無いのにちょっと欲しくなってるからね。

なんならプレゼントでもいいかな、くらいの。

すごいや。

 

凄いといえば、また労働という点で関心したこと。

督促OL日記みたいな本が新潮文庫でありまして、

督促の電話かけてると心身を病んで辞める人続出するから、

辞めないような工夫をしたって感じの本だと思うんですけど、

私だったら、こいつぁあやってられないやつだと辞めてしまうだろうなと、

自分の根性の無さに呆れると同時に、

そういう職場と諦めずに改善しようとする熱意にブラボーを贈りました。

で、ネット上のコミックエッセイが元らしくて、面白く読んでたら

感情労働」なる言葉に出会いました。

肉体労働者でもなく頭脳労働者でもない、体力も技術も頭脳も要らない、経験が蓄積されて技術が向上することもない労働を指す言葉で、

たぶん所謂サービス業とあまり変わらないと思うんだけど、

妙に納得してしまいました。