犬も食わねえ

昔の恋人は寝言の多い人でそれを聞くのが好きでした。

「むにゃむにゃ」と言ったり名前を読んだり、名前を呼ぶと返事したり、

飛び起きてすぐ寝たりしていた。

寝たまま会話できることもあって、それをメモして起きてから夢を訪ねるのが面白かった。

大抵は夢には辿り着かずに夢の元になる話に終始した。

エスキモーがアザラシを解体して油を灯りに使うとか、パソコンに入ってるゲームとか、そういう話。

話を聞いて入れ替わりでその夢に入るつもりでいたけど、

記憶の宿便を浚って妙に冴えた目でぼけーっとして気づいたら寝て起きてて半日を無駄にしていた。

昼間からよく寝る子だった。親には一日を無駄していると言われたけれど睡眠に使ったんだから無駄ではないと思っていたけど、この歳になるとわかる。そういう考えは間違い。

 

一番印象に残っている寝言は「犬も食わねえってやつですか」

一通り笑ったあとに声をかけたけど既にノンレム睡眠に沈んでしまってて、

起きてからどんな夢か聞いても覚えてなかった。

夫婦喧嘩は犬も食わないと言われるが、

伊勢屋稲荷に犬の糞という言葉があるように、犬の糞もそこら中にあった。

そこら中にあるくらいに犬がそこら中にいて、

そこら中にいる犬だって食わないのが夫婦喧嘩。

夫婦喧嘩のそこら中レベルでいうと植物プランクトンくらいはいるんじゃないでしょうか。

多さもさることながら、道端で見るものという点も夫婦喧嘩の特徴で、

つまり、夫婦喧嘩は外に出てやるものだったということになる。

「表へ出な、ここじゃこの人が迷惑する」と『タンポポ』で言ったみたいに、家への気遣いだったかというと、

そうではなくて、喧嘩の勝敗を他人に決めてもらうということらしい。

火事と喧嘩は江戸の華で、人が集まるものだった。

野次馬が取り囲んでわいわい言うものだった。

それを使っての、自分の妥当性を数の暴力によって証明するというのが夫婦喧嘩だが、犬も食わなかった。

あー皆さん聞いておくれと喧嘩する姿は、大陸の葬式での泣き女を思い出させる。

ヒステリーのパフォーマンス。

母は上機嫌から不機嫌へ急転直下することがよくあった。

少しでも酸素が少なくなると騒ぎ立てるカナリアみたいに、何かがあると爆発的に騒いだ。

機嫌の良いときはまだ「どーんと構えてろ!」みたいな大きいことを言うけれど、

不機嫌は母をヒステリーにした。

育て方を間違えた、いい加減にしてくれ、お前が出来るわけがない、お前には無理等を言うのが母の役目だった。

小学生の頃に父に「ほめて育てるという言葉があるけれど、けなして育てるだよね」と言ったら、「けなして育つわけないだろう」と笑われた。

結局のところ、母がそうして育てられたということの証拠だと思う。

母方の祖父母はよく大きな声で言い合いをしている。

あーもう駄目だ、おしまいだみたいな、大げさで全く建設的でない言葉を投げ合ってコミュニケーションしている。

両親と祖父母とでは、距離や態度が全く異なって、祖父母は子を一度育てたこともあり年の功もあり適当さもあり孫を半分くらいペットのような遠さで見ているフシがあるが、

親は初めて親になった経験のなさや責任と大きい愛情で必死になるから、

私は祖父母のクレイジーさを直接に浴びることはなかった。

(また言ってらあ)と思ってやり過ごしていた。

それを血肉や反省材料や反面教師にしてきた母から浴びたときには多少は薄められてたと思う。

勿論悪いのが祖父母というのでは無くて、祖父母の育った環境も勿論そういうものだったろうから、特定の誰かの責任と全くの被害者とはできないけども。

先祖から子孫へと受け継がれる悪癖は私にどのように発露しているかというと、

動揺のしやすさだと思われます。

『アバウト・タイム』という映画での主人公の母は、何事にも動じないと息子から描写され、それがエンディングに活きてくるのですが、

それをみた瞬間の(字幕でした)羨ましさったらなかった。

何事にも動じるというのは、逆に言えば自分を持っていないということになるのかもしれません。

今日店長に世間知らずか!と罵られましたが、べつにそういう時には動じたりしないので(ふざけんなよ、何でも知ってられっか馬鹿)と唱えて気にしませんが、

動じちゃうのはどうしたもんですかねえ。

振れ幅が大きいのは自分でも面倒です。

楽しいとか気分が良いときにはこの世をば我が世とぞ思うくらいですが、

簡単に滅入ります。

ああもう駄目だ、おしまいだ終わりだとすぐに慌ててしまう。

 

仕事してて、やってることは苦じゃないんだけど、

トイレとかドアを開けるときとか階段登るときとかの一人になる瞬間に、

(いつまでもこんなことしてていいのかなあ)と思う。

意義がわからないのは辛い。

楽しそうに接客しろ!とか言われても、そもそもの楽しさがわからない。

なんでみんなこんなのにお金払ってんの?って不思議というより呆れてます。

これに金出す人がいるんだから、おかしな人もいるもんだな、何考えてこんなのしたがるんだろう、

と冷めてます。

言い方は悪いけれど、馬鹿とか狂信に見える。

しかも洒落っ気のないやつ。

こんなので儲かってんだから、大したもんだよなと。

それに、これでウキウキしてるってすげえなと思って先輩やら上司やらを見てます。

何が良いのやらサッパリです。

一体何が楽しいのか、何が良いのか。

参ったなあ。

楽しんでいることが不可解ではなくて、

どのように楽しんでいるか、具体的に何が楽しいのかが全くわからない。

これは本当に、全く。