ある光がわからない節
『ある光』がよくわかりません。
オザケンの歌詞が好きなんですが、
『犬』の「天気読み」とか、わかりそうでわからないです。
10✕10って映像とかに影響受けてるとかはヒントになってるんですが、
それでもいまいちよくわからないんですが、
『ライフ』のあたりはけっこう主題が分かりやすくてしかも深くて良い。
「ウキウキ通り」みたいによく聞くとあれ、こいつ…みたいなのもあるけども、
それにしても大体はわかる。
なんだけど、「犬」のあたりと『ある光』はわからない。
ドゥワッチャライクの最後に「無色の混沌」って回があって、そこで「ある光」についてちょこっと書いてある。
光を分節することで「赤に青に黄に」になるように、
人は世の中にあるものを分節して、切り分けていく。
でも元は混沌としたもの、色で言うなら無色の光であるってことが書いてあったと思う。
ググったら「無色の混沌」って「ダーバビル家のテス」にある一節なんですね。偶然かもしれませんが。
「なぐさめてしまわずに」「考えてる」こともわかりません。
1:この線路を降りたら赤に青に黄に
願いは放たれるのか?
2:この線路を降りたら
虹を架けるような誰かが僕を待つのか?
3:この線路を降りたら 海へ続く川
どこまでも流れるのか?
そうそう、『犬は吠えるがキャラバンは進む』というアラビアの諺の、アルバム上の意味が『dogs』という題になったことで
「犬たちが吠える時にも恐れずに僕たちはキャラバンを進めていくことにしよう」に決まったってことでいいんですよね。
とはいえ、「俺という犬は吠えるのだが熱力学的キャラバンは全く無頓着に進んでいく」という解釈も、あんまり変わらない気がして、しかもどっちも好きなんで、決めなくていいんですが、
犬の単数か複数かで言うと、どっちかって言えそうなので。
無粋かなと思いますが。
でもさ、前者の方が「我ら時を行く」に近い感じではあるよね。
オザケンの活動休止前の最後の作品だったこともあって、
「この線路を降りたら」がそう捉えられがちですが、
そうなんですかね。
「虹を架けるような」ってどういう意味だろか。
「海へ続く川 どこまでも流れるのか」って、どこまでもじゃなくて海までじゃないの。
あーわからない、わからない節。
久しぶりに「ドゥワッチャ」読むとやっぱ良いね。
友達に手紙書きたくなる。
こんな話をたらたらとしたくなる。
何か食べながら友達とぼやーっと話し続けたりしたい。