楽とつまらなさ

言葉を失うという慣用句は一般的に、ショックを受けてそのショックを言葉で表現できないことで、大体がそんなに長く続かない。3日も4日も唖然と、というのは差別的かもしれないけど、してるってことはない。

最近私は言葉を失った気がしてます。そう書いてるから失ってないんだけど、言葉を失ったような感じがしてます。言葉が出て行ったような感じ。呪いとか強迫観念みたいに言葉言葉言葉だったのに、それが、憑物が落ちたようにぼけっとしてます。その状態がとても楽で、とてもつまらないです。

「世の中ついでに生きてる」というのは落語の形容句で、ぼけっとしてる奴のことを、例えば「火焔太鼓」の道具屋のおやじとかを、指す。そう自分のことを思っていて、あるいはそう望んでいて、世の中ついでに生きてたいなあと思ってたら、いつの間にかそうなっていました。

仕事を覚えてきたのが大きいです。勿論いっぱしってほどじゃないんだけど、楽になってしまって、それでやっていけてるから、まあなんとも楽。楽だと、つまらないです。つまらないけど、ぼけっとしてられるのはとても楽。ぼけっとしててもなんとか勤まるなんて、ほんとにつまらないですよ。休みには友達と遊ぶ用事もないし、急に遊んでくれる友達はいないし、恋人なんてまして。

それでもけっこう充分に楽しいんですよ、生活。最低限の楽しさというか、楽しさの閾値が常人に比して低いんでしょうね。そうとしか思えない。そんなことに気づきましたのは、会社の先輩たちが、仕事終わって別々に早く帰って、こっそりセックスして会社に戻ってきてパーティーしてたのを見て、でした。

世の中には色んな楽しいことがきっとあるんだろうなと、そこに加われない自分を鑑みて(残業代の出ない残業してた)、ぞっとしましたよ。楽とつまらなさに直面しましたよ。憑かれたと言ってもいい。

楽に暮らしてつまんないって言って死んでくのかと思うと、悲しくなりますね。それがついでに生きてるような気がするのに、してみると意外と良くないのは、ニートも一緒。