太陽の復活誘う夜這いかな
そろそろクリスマスですよ。
備えてますか。
クリスマスはキリスト教の行事の一つで、
キリストの生誕祭ということになってますが、
実際には12月25日という確証はないとか、聖書の記述からして12月ではないです。
で、なんで12月25日ということになっとるかというと、
ドイツのあたりの民俗宗教であるドルイド教のお祭りを吸収したからです。
そのお祭りとは、日本で言うところの冬至を祝うものでした。
なんで一年のうちで一番夜が長い(実際には違うそうですが)日を祝うのかというと、
冬至を境に日が長くなるからです。
春分が昼と夜の長さが同じで、
秋分で昼と夜の長さが同じくなり
冬至で夜が最も長くなります。
この昼と夜を擬人化というか擬神化して、
昼=太陽=春ということにして、その太陽が衰えてついに死ぬのが冬至です。
で、また日照時間が長くなるために太陽の復活ということで、
祝います。
原理的には、暦の問題なので、農耕文化のお祭りだったわけです。
で、キリスト教がドンドンを拡大していく中で、四角四面にキリスト教を広めるつもりでも、
やっぱり土地とか慣習とか惰性は強いもので、
どうしたって現地の文化と混ざらざるを得ません(尤も、発祥地とか5本山だって宗教会議をして方針を変えたりしてるんだから、地方だけが変わるわけではなく、本部だって時代と共に変わります。本部のある土地だって気候や交易等々の影響で変わるのにどうして宗教だけ変わらないことがありましょうか、いやない)。
その混ざった結果が今あるクリスマスのもとであります。
クリスマスは暦の問題で、太陽の死と再生に関わる行事で、異界から聖者の来るものです。
暦の問題なら、キリスト教文化以外でも、暦に従って農耕をする文化には同じような行事がありそうなもので、
実際にあります。
太陽の死の挿話というと、日本で一番有名なのは天の岩戸開きです。
死ではありませんが、太陽の神が姿を隠してしまいますと、良からぬものが騒ぎたて悪が満ちて、みたいな描写があります。蝿が飛び回ってうるさくて、というような。池澤夏樹の古事記ではどう訳されてるのかしら。
やっぱり太陽がなくなると、悪しきものが姿を表わすわけで、暦的に死を迎えると異界との境が薄くなるようで、
出てくるのは鬼です。
鬼が出てくる日本の行事と言えば節分です。
もとは中国の暦での分け方で、節を分けるから、ここでカレンダーを新しくするということみたいで、
そのときに鬼が顔を出すんですね。
厳密に鬼ではありませんが日本独自の異界の使者もいます。
なまはげです。
なまはげも年末ですね。
「来年のことを言うと鬼が笑う」というのも、暦の変わり目だから「鬼」が出てくるのかもしれません。
あ、復活したからお祝いするのか、それとも「天の岩戸開き」のようにお祝いをすることで太陽の復活を祈る儀式をしているのかもしれません。
雨乞いみたいな。
ちなみにですが、クリスマス・イブとクリスマスは、どこからが次の日とするかという定義の問題のずれによって紛らわしくなってます。
太陽が南中に達した時点を一日の折り返し地点として、その南中からもっとも遠いときに一日が変わるということになってますが、
イブとか言ってた時には真夜中ではなくて、太陽が沈んだときに日付を変えました。
一日の食事でいうと三食なら、晩飯、朝飯、昼飯という順でした。
今の感覚だと朝昼晩なので、晩飯ぶんズレます。
それがクリスマスイブです。前夜祭ってのもおなじ感覚なんですかね。じゃあ後夜祭はなんなんだとなりますか。
だからクリスマスも夜飯、朝飯、昼飯の順にいちゃつきます。
クリスマスは25日なのですが、原理的には今で言うところの24日の晩飯、25日の朝飯、昼飯が、いわゆるクリスマスなので、
正調の本式のオーソドックスのクリスマスは24日の晩飯なのでイブだイブだっちゅーことになるんですね。
25日の晩飯ってのは、カップル的にはどうなんですかね。
でもさでもさ、クリスマスの前からクリスマス気分で、最高潮の直後の26,7ってなんか気が抜けてないですか。賢者モードというか「さっさと帰れよ」みたいな。
年末だから良いんだろうけど。
太陽の復活を祝う儀式で、カップルがイチャイチャしてていいのかという話ですが、
いいと思います。
お祭りのあとの夜這いです。
産めよ増やせよ地に満ちよです。
増えても満ちても第3次産業に従事するので太陽がなくても回るんですが。
そもそも受胎しても堕ろすかもしれないし。
やたらとカップルが目につくのはちょっとうんざりしますけどね!
でも生き馬の目をスッパ抜く花の大都会でカップルが少ないのも荒涼としててきっとぞっとするでしょう。
ただ、たらたら歩くなと。
さっさとバカ高いフレンチレストラン行ってホテルにしこたましっぽりシケこめと。
でも当事者だったらと思うと目一杯たらたらしたいですね。
お祭りで当事者じゃない場合、どう過ごせば気が鎮まるかが問題なわけです。
クリスマスだけがやたらと騒がれるじゃないですか。
クリスマス中止のお知らせとかさ!何がクリスマスだみたいな歌があったりしてさ!
そういう形でクリスマスに関わる楽しさもきっとあるんでしょうが、
そういうバックアップする楽しさを味わったことがないので、
やってみたいなと羨む気持ち半分、
じゃあ無視しろよ!と僻む気持ちが半分あります。
こちとらお祭りに参加しねえのはクリスマスだけじゃねえんだよ!
正月、小正月、節分、バレンタイン、ホウェエトデー、ひな祭り、卒業式、花見、入学式、新歓コンパ、GW、まだ寒い中のオクトーバーフェスト、海開き、ビアガーデン、隅田川花火大会、水着!、ゼミ合宿、ひと夏の恋、ぜんぶ夏のせい、野球場で飲むビール、学園祭の準備、学園祭の本番、学園祭の片付け、紅葉狩り、いちょう並木、本物のオクトーバーフェスト、例大祭、酉の市、羽子板市、天皇誕生日、クリスマスイブ、クリスマス、大晦日とぜんぶ参加してねえよ!
アンチの多さはやはりクリスマスの一人勝ちですよね。
次がバレンタインかしら。
やっぱ酉の市とか花見なんてのは情交が絡まないので、僻めないですからね。
恋愛カーストが現前するからですよね。
そしてそれが、自分でも有り得たかもしれないっていう気持ちによってやっかみに走らせられるんでしょうね。
ちゃんとクリスマスみたいなことするのって楽しいんでしょうね。
いいなあ。
今だにカップルはレストランだホテルだカルティエだってやってるんですかね。
そういう文化として国は保存していかなくちゃいけないと思います。
慶応大の学生とか、慶応卒のリーマンには日本のお家芸として補助金とか出して今のうちから守っていかないと。
パパから貰ったフェラーリとか、サプライズとか、なんとかプラザホテルのスイートルームとか、シャンペンとか。
神戸のお嬢様とかも対象にして、やたらと遠くまで見渡せる階で目の前でぶ厚い肉焼かれて。
もちろんフェイスブックには写真アップさせて。
上方クリスマスと東京クリスマスはちゃいまんねんと評論家なんか出てきたりして。
国にがんばってもらいたい。
アンチもやはり世襲化ね。代々うちはアンチでやってんだ、みたいな。
アンチなんだけど弟子入りとか出てきて「食っていけないよお〜」とか最初は断られるんだけど、夏の暑い盛りに炎天下で三日三晩玄関で立ち続けてなんとか入門許されて。
「クリスマス中止のお知らせ」なんか口上化して、言うと贔屓筋に屋号なんか言われたりして。
もう年末は歌舞伎座でクリスマス芸能とクリスマスアンチ芸能の興行ですよ。
忠臣蔵と四谷怪談で裏表演じますみたいな。
メンノンボーイがなんかしくじって「げに恐ろしき、執念じゃな〜」と言って、紅白見て坊主が鐘ついたのを見てから寝るのが日本の年越しという将来がすぐそこまで迫っています。